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グラバー親子と日本近代化を巡る旅

1. 父・グラバーと明治維新


グラバー親子と日本近代化を巡る旅」では、主に長崎県で活躍したグラバー親子、父・トーマス・ブレーク・グラバーと息子・倉場富三郎について4つのパートに分けてご紹介します。記事を通して、グラバー親子がどのような人物なのか、どのように日本の近代化を一気に推し進めたのか、歴史や背景と共にご紹介します。

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本パートは「父・グラバーと明治維新」について。
この記事では、グラバー親子の紹介と、父・グラバーが来日から幕末までに行った事業とを時系列で辿っていきます。 グラバーが貿易商で武器を売っていたことや、倒幕派と親交を深め、明治維新に貢献していたことがわかります。

1. 長崎の観光名所・グラバー園は日本近代化を象徴する建物

長崎県の観光名所と言えばどこを思い浮かべますか。

よく名前が上がる場所の一つにグラバー園があります。
なぜグラバー園が観光名所となったのか、詳細をご存知でしょうか?

グラバー園は長崎市内にある、グラバー親子二代が住んでいた邸宅。

グラバー親子が日本近代化に貢献したため、グラバー園は日本近代化を象徴する建物となったのです。

それでは、具体的にグラバー親子はどのような人物で、どのようなことをしたのでしょうか。

2. グラバー親子はどんな人?

グラバー親子の人物像と、どのようなことをしたのかをご紹介します。


明治の近代化とともに生きた貿易商 トーマス・ブレーク・グラバー

トーマス・ブレーク・グラバーはイギリス人。1838年、スコットランド生まれです。

1859年に上海の「ジャーディン・マセソン商会」に入社し、同年長崎へ来日します。

2年後の1861年、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店として「グラバー商会」を設立し、貿易業を開始しました。

当初は茶や生糸を扱っていましたが、日本の情勢を見て武器商人へと方向転換し、多くの藩と取引を行います。

明治維新後は、蒸気機関車の開通、肥前藩との契約による高島炭坑の経営に着手し、日本の近代化を一気に進めました。

晩年にグラバー商会が破産するも、高島炭坑の経営者として日本に残りました。

その後も三菱財閥の相談役をしたり、国産ビールを開発したりなど、精力的に活動した商人です。

日英ハーフの実業家 倉場富三郎

倉場富三郎は、1871年、父・グラバーと母・淡路屋ツルとの間の子であり、イギリス系日本人です。

苗字にあたる倉場はグラバーのもじりで、実際の名前はトミサブロー・アワジヤ・グラバーといいます。

富三郎は留学から帰国後、父・グラバーが起こしたグラバー商会から分かれたホーム・リンガー商会に入社。

同時に、長崎汽船漁業会社も設立し、深紅丸という船を輸入。日本にトロールという底網を使用したトロール漁業を導入します。

一方、大学で生物学を学んだことから水産学者としての一面もあり、『グラバー図譜』と呼ばれる水産動物の図譜の本を編纂しました。

父・グラバーよりも多才な富三郎でしたが、晩年は芳しくありません。

日英のハーフである富三郎は第二次世界大戦中にスパイ容疑をかけられ、不自由な生活を強制されます。

さらに、愛する妻・ワカとの死別と、故郷・長崎の原爆投下と度重なる不幸の結果、終戦後に自死しました。

グラバー親子は日本の近代化に貢献した重要な人物

グラバー親子は父・息子ともに実業家でした。
グラバー親子は日本の近代化に貢献した重要な人物なのです。

グラバー親子について概要がおわかりになったところで、次に詳細な歴史をご紹介します。

3. グラバー来日から幕末まで

父であるグラバーは日本の長崎に来た後、貿易商としての手腕を見せながらも、土佐藩、薩摩藩、長州藩といった倒幕派と親交を深め、武器を売ったり留学を手助けしたりします。

その過程を見ていきましょう。

1859年|グラバー来日と「グラバー商会」

1859年、グラバーは上海に渡り「ジャーディン・マセソン商会」に入社し、同年9月19日に長崎に来日。

長崎で先にジャーディン・マセソン商会の長崎代理店を営んでいたケネス・マッケンジーのもとで働きました。

1861年、グラバーは自己資金で独立すると同時に、ジャーディン・マセソン商会、デント商会、サッスーン商会といった当時大手だったイギリスの商会の代理店も営み始めます。

グルームとパートナーシップを結び、グラバーはアーノルド商会を吸収し、「グラバー商会」を設立しました。

同年、グラバーは南山手3番地の借地権を獲得します。

「1861(文久元)年10月、最も美しい場所で、そして松の老木がそびえ立つ南山手3番地の借地権を確保したのは、若いスコットランド人、トーマス・B・グラバーであった。」

                出所:【公式】グラバー園ウェブサイト, EPISODE 南山手秘話, episode60

その地には1863年にグラバー園となる邸宅が建てられました。

南山手はのちに外国人居住区として有名になります。

1865年|グラバー、武器の輸入を始める

グラバーははじめ、茶の貿易をしていました。

しかし、日本から茶の工場の立ち退きを命令されたり、労働力が不足したりと、思うように利益はあがりません。

そこでグラバーは1862年から艦船の貿易を始めます。

蒸気船と関わったことで、石炭にも興味を持ち、のちの高島炭坑の経営へと繋がります。

さらに、1865年、グラバーは武器の輸入を始めます。

武器の販売は幕府以外には禁じられていましたが、守られず各地域の藩と大量の取引が行われました。

武器の内訳は主に小銃とその弾薬です。

グラバーと土佐藩、長州藩、薩摩藩との武器取引


グラバーは主に土佐藩、長州藩、薩摩藩と武器取引を行いました。

土佐藩は小銃やライフル銃を4960挺を取引しました。

薩摩藩はグラバーからミニー銃を買い占め、艦船を買いました。

長州藩とは、土佐藩の坂本龍馬と中岡慎太郎が設立した亀山社中を仲介して、ミニー銃やケヴェール銃を販売しました。

なぜ土佐藩、長州藩と薩摩藩は武器が必要だったのでしょうか。

その頃、土佐藩と長州藩と薩摩藩は諸外国の強さを目の当たりにしたため、日本を強力な武力国家にすることを目指していました。

強力な武力国家を目指すために、貿易の独占をしたり、弱い戦力しか持たない邪魔な幕府を倒す「倒幕」を目論んだのが土佐藩、長州藩、薩摩藩だったのです。

グラバーと明治維新

グラバーは佐幕派と呼ばれる幕府側の藩と、倒幕派のどちらにも武器を販売していましたが、深く関係を築いたのは倒幕派の方でした。

この関係がグラバーと明治維新との繋がりをより濃くしていきます。

1863年、1865年|グラバー、藩士の留学を手助けする

時代が若干逆行しますが、グラバーは倒幕派の藩士に頼まれ、当時禁じられていた密航を行います。

倒幕派はイギリスへ藩士を渡航させ、様々なことを学ばせたかったのです。

1863年に留学したメンバーは
伊藤博文
井上馨
井上勝
山尾庸三
遠藤謹助
といった、いわゆる長州五傑です。

彼らは明治時代の日本の政治界のトップに君臨する人物となります。

1865年には薩摩藩の五代友厚を留学させました。

グラバーにとっても非常にリスキーな行為でしたが、グラバーは倒幕派に肩入れし、いずれも協力したのです。

こうしてグラバーは倒幕派と関係を築きました。

1868年|戊辰戦争

幕府の力は急速に弱まり、徳川慶喜の代には大政奉還が行われました。

大政奉還で主権は徳川家から天皇へと戻ります。
この大政奉還に伴い、王政復古の大号令が出され、幕府の廃止と、新政府が樹立されたのです。

倒幕派は密かに天皇と密通して主導権を握り、徳川慶喜の官位辞退と領地返上を決定しました。

佐幕派と旧幕府の臣下たちは激昂し、倒幕派と佐幕派による戊辰戦争が勃発しました。

結果は倒幕派が勝利し、実権を握ることになります。

土佐藩、薩摩藩、長州藩を支えたのは他でもなく、グラバーが売りつけた武器と、留学で学んだ西洋式の戦法であり、これによって幕府軍は全滅し、一年半に及ぶ戦いが終わりました。

父・グラバーは明治維新に大きく貢献した人物

グラバー親子は日本の近代化に関わる重要な人物です。

父であるグラバーは、長崎で貿易商をはじめ、その最中、倒幕派と親交を深め、留学の手助けをしたり、武器や艦船を売ったりします。

倒幕派は輸入した武器や西洋式の戦い方で佐幕派に勝利したのです。

結果的にグラバーは明治維新に大きく貢献した人物となりました。

4. グラバーの幕末までの半生を知る物語3選

最後に、グラバーの幕末までの半生を知る物語を3選ご紹介します。

白石一郎『異人館』(上・下)

出典: Amazon

講談社文庫

異人館

グラバーが主人公となった小説です。

グラバーは21歳で来日し、その商才を発揮します。
グラバーは武器の貿易を始めると同時に、坂本龍馬、五代友厚、高杉晋作ら倒幕派と交流を深めていきます。

グラバー来日から幕末までの動乱を描く物語で、史実に基づいた物語となっています。

出口臥龍『グラバーの暗号 坂本龍馬暗殺の真実』

出典: Amazon

幻冬舎

グラバーの暗号 龍馬暗殺の真相

坂本龍馬の暗殺をめぐる論争にひとつの解釈を投げ込む小説です。

作者は日本歴史学会に所属しており、丹念な資料調査を行ってこの物語を執筆しました。

主人公であるグラバーの視点から坂本龍馬の暗殺の事実を捕らえています。

グラバーが残した事業が実は坂本龍馬の暗殺にかかわるようです。

幕末の長崎について全般的に知りたい方にもおすすめです。

『天外者(てんがらもん)』

出典: Amazon

東宝株式会社

天外者

薩摩藩士・五代友厚を主人公にした映画作品です。

五代友厚は明治維新に貢献した武士でありながら、実業家としての顔も持っています。

晩年は西の五代友厚、東の渋沢栄一と称されるほどの実力者となります。五代友厚の留学などを手助けしたグラバーの姿も描かれています。

また、主演・三浦春馬の遺作の一つでもあります。

5. グラバーは明治維新にとって重要な人物

グラバー親子と、グラバーが来日から幕末までに行ったことが少しでもおわかりになったら幸いです。

グラバーは明治維新において倒幕派を支えた重要な人物で、主人公とした物語も多数描かれています。

明治維新後のグラバーの活躍も非常に目覚ましく、面白いです。

次回は明治維新後の父グラバーの活躍をご紹介します。

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