風情あふれる絶景嵐山の景勝地をたどる街歩きコース - 京都
このツアーでは京都の東に位置する、山紫水明(さんしすいめ)の地、嵐山を巡ります。嵐山は1000年以上前から、京都に住む貴族たちの別荘が並ぶ景勝地でした。
観光地化された京都中心部と比べて、当時の面影をいまなお強く残しています。
かつて京の貴族たちがこよなく愛した日本の原風景をたどってみましょう。
振り返ってはいけない?京都嵐山のシンボル「渡月橋」の由来と言い伝え
嵐電嵐山駅の改札口をくぐって左手に進むと、やがて目の前の大きな川にかかる長い長い橋が見えてくる。
かつて多くの詩人が歌に詠んだ京都のシンボル。
渡月橋だ。
まずは橋の横側から全体を眺めてみよう。渡月橋の向こう側に見える山々が背景となり、景観を形作っている一枚の絵のように美しい
小説家司馬遼太郎は渡月橋を眺めてこう評した
この景観には、大きく弧を描いた唐橋(からばし)は似合わない。
渡月橋はひたすら水平の一線をなしている。
それも、橋であることの自己顕示を消しきったほどにひかえめである。
また、どこから見ても、景観のなかでは、低めの位置に渡月橋の一線があり、
この位置が黄金分割になっている。
渡月橋とは、月を渡る橋と書く。
昔の天皇が橋の上空を移動していく月を眺めて「月が橋を渡っているようだ」と感想を述べたことに由来している。
日本人は昔から自然という言葉が大好きだ。日本人の心の拠り所、価値観は「自然」とともにある。自然にたいして感傷的で繊細さをもって接しているのだ。
渡月橋が多くの日本人に愛されているのも、その文脈のなかで理解できる。
橋そのものではなく、渡月橋を含めた背景の山々、川、中洲の島、これらを一つの景観として、日本庭園のような美しさを感じるのだ。
実は渡月橋には興味深い言い伝えが残っている。
橋を渡っているときは、決して後ろを振り返ってはいけない
渡月橋の南側に法輪寺という古い寺がある。京都住民は13歳になると、大人の仲間入りを祝って法輪寺を参拝し、祈り願う独特の風習があるのだ。そして、参拝した帰りに後ろを振り向けば、「授かった知恵が舞い戻ってしまう」という言い伝えがあるのだ。
不思議な風習だ。この習慣の由来は一説には次のように言われている。5世紀後半に中国から渡ってきてこのあたりで力を持っていた秦(はた)という一族がいた。
この地域の人々は彼らの知識や技術を求めて彼らに会いに行っていたのだ。そのときの名残としていつの間にかこのような風習として変わっていったと言われている。
大人への通過儀礼として形は変わりながらもいまなおその風習は続いていく。
振り返っては行けない、と言われると振り返ってみたくなる。その誘惑に打ち勝つことが大人への第一歩なのかもしれない。
1,200年間、何度も焼け落ちながらも、変わらずこの場所にあり続ける渡月橋は
京都の変遷を眺めてきた。そしてこれからも変わらず、ここにあり続けるのだろう。
竹林の小径(こみち)- 整然と並ぶ竹林の幻想的な美しさ
大河内山荘庭園の入り口のすぐ近くから竹林の小径へと入ることができる。
京都嵐山と聞いて多くの人が真っ先に思い浮かぶのがこの竹林の小径だ。
ここは京都でももっとも美しいスポットの一つ。
有名になってからは観光客が増えすぎてしまったが、
平日や朝早く、または夕方に訪れてみるとこの美しい竹林を独占することができる。
この竹林の道は天龍寺と野宮神社に続いている。
途中、右手に折れる道が天龍寺、
右に曲がらず、まっすぐ進むと野宮神社にたどり着く。
まずは野宮神社目指して進んでみよう。
いつもより少しだけゆっくり歩いてみよう。
僅かに香る竹の香り、風で揺れる笹の音、隙間から注ぐ日差しの暖かさが感じられるだろう。
時間の感覚を忘れ、ただ目前の道を歩いていると自然に溶け込んでいくような感覚を感じる。
ここにいると、タイムスリップしたような印象を受けるだろう。
この道には、現代のものを思い出させるものは何も見当たらない。
今から1000年前、この竹林の周囲には貴族の別荘が立ち並んでいた。
当時の人々もあなたと同じようにこの道を歩いていたのだ。
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この「風情あふれる絶景嵐山の景勝地をたどる街歩きガイド」は、トラベルガイドアプリ「Pokke」で聴くことができます。音と声での新しいガイド体験を味わえます。アプリのダウンロードは、↓から行うことができます。