古墳はなぜつくられた?コンビニよりも多い意外な理由とは?
古墳は誰が何の目的で造った?
古墳は3世紀の終わりから7世紀にかけて全国で盛んにつくられた大王や豪族のお墓です。
10メートほどの小さな古墳から500メートルに迫る巨大なものまで、全国に約16万基以上存在しています。その数はなんとコンビニの約3倍。
一体なぜこれほど多くの古墳が作られたのでしょうか。
古墳は何のために作られたのでしょうか。
それを考えるためには、まず古墳がどのようにして作られたのかを知る必要があります。
古墳を作ると決めたら、はじめに設計図を作ります。
小さな模型も作ったことでしょう。
そして建設予定地を調査します。
現在のように地盤を補強することはできませんので、莫大な重量を支えるだけの強固な地盤の土地を探します。
ちょうど良さそうな場所があったら、水を流してみて地面が平らであることを確かめます。
測量し、設計図通りに縄張りを決めていきます。
そこまで決まると、あとは人海戦術で周囲をひたすらに掘っていきます。
掘った穴はそのまま古墳の周りの濠となり、掘り出した土砂で古墳の土台となる丘を作っていくのです。
そして前方後円墳であれば円墳部分や方墳部分を整えたり、墳丘を二段や三段といった階層構造に整えていきます。
円墳の上または横から穴を掘って死者を埋葬するための石室を作ります。
また、古墳全体にこぶし大の大きさの葺石を敷き詰めて装飾し、ずらりと埴輪を古墳に配置して完成です。
このような工程を機械を使わずに人力のみで行う必要がありました。
いったいどれほどの時間と労力がかかったのでしょうか。
1985年に大阪堺の仁徳天皇陵で試算した結果は驚くべきものでした。
2000人が週5日間、8時間体制で作業した場合、完成までに約16年かかるという結論が出たのです。
このことから何がわかるでしょうか。
それは、古墳は誰にでも簡単に作れたわけではないという事実です。
設計図の作成や測量、埴輪や石室の制作などは、高度な技術者集団が存在したことを示唆しています。
また、大量の人員をスケジュール通りに運用するにはプロジェクト管理の専門家が必要だったことでしょう。
そしてそれらの専門家と大量の労働者を確保し、工程通りに働かせるためには、強大な権力と財力をもったリーダーがいたはずです。
つまり、3世紀から7世紀の日本において、古墳築造という大規模事業を実行できたのは強大な権力をもった権力者のみでした。
逆説的に言えば、古墳を作れば権力者であるということを証明できたのです。
遠くからでも目に入る巨大な古墳があれば、その地域にそれだけの人数を動員できる強大な権力者がいることを周囲に示すことができました。古墳に動員できる人数は兵力にも直結するためです。
つまり、古墳とは権力者が自らの権力を周囲に示すために造られたという説が、現在の有力な見方です。
権力者が己の権力を誇示するために造られたと考えられている古墳ですが、現代には約16万基もの古墳が残されています。
なぜこれほど多くの古墳が造られたのでしょうか。
例えば現代に置き換えて考えると、総理大臣にあたるトップの人物が巨大な古墳を首都に一つ建てればそれで十分かもしれません。10年で代替わりしたとして、古墳時代の約400年間で作られる古墳は約40基。
しかし、現実にはその4000倍の数の古墳が造られました。
このことは何を意味しているのでしょうか。
それは権力者は一人だけではなく、全国各地に無数にいたということでしょう。各地域のトップの人物が自分の権力を誇示するために古墳を作っていたのです。
実は古墳時代はまだ大王(天皇)が日本全土を支配下に置く前の時代。
頂点に大王を戴きつつ、各地の豪族たちによるゆるやかな連合を形成していたと考えられています。
そして古墳の大きさで豪族間の序列を決めていたという説もあるのです。
古墳時代は大規模な戦争がほとんど無い平和な時代だったと考えられています。
歴史上、大規模な争いがあった場所からは、武器によって損傷した遺骨、武器や鎧といったものが大量に発掘されます。
しかし、古墳時代の争いの跡は全く見つかっていないのです。
つまり古墳時代は戦争の少ない比較的平和な時代だったようです。
その理由の一つとして考えられるのが古墳の存在です。
築造した古墳の大きさを誇示することで、豪族が持つ権力やその背景となる武力を周囲に見えるようにし、豪族間の序列を古墳の大きさで決めることで、武力による争いが抑制されたのではないかと推測する説があります。
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