ひょうたん型の草津温泉の名所!湯畑の歴史と見どころ
かつて徳川将軍がお湯を汲み上げた場所
草津には主に6つの源泉があり、草津温泉全体では毎分32,300リットル以上、1分に一般の家庭の浴槽が200杯溜まる計算になります。
そのうちここ湯畑源泉から湧くお湯は毎分約4,000リットル、1000年以上にわたって湧き出し続け、湯の成分である湯の花が沈殿し、ご覧のように底は真っ白になっています。
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湯畑源泉は、池の中に見える徳川将軍お汲み上げの湯枠のあたりから湧き出しています。
この四角い枠は、徳川家康や8代将軍吉宗、10代将軍家治がお湯を汲み上げた場所で、ここから草津の湯を樽に詰めて江戸城まで運ばれました。
木枠自体も、御汲み上げのために300年前に組まれたものと言われています。
この場所でいつから源泉が湧き出しているのかは定かではありませんが、はるか昔から山の中でこんこんと温泉が湧いていたと言われています。
やがてその周りに人々が集まり、小屋を造り入浴していたのでしょう。
次第に、そうした人々が宿泊するための施設や物品を販売する露天や商店も誕生し、湯畑の周囲から集落が発展していったのです。
江戸時代には湯畑の周囲が木の柵で囲まれ、現在の形に近づきました。
江戸時代後期には全国から湯治や遊山のために人が集まり、その賑わいは現代と遜色ないほどに発展しました。
湯畑の中央に横7列、ずらりといくつも並ぶ、湯樋(ゆどい)と呼ばれる木の樋(とい)についてお話します。
湯樋の役割は主に2つあります。
源泉の温度を下げるためと、もう一つは湯の花を採取するためです。
湯畑から湧き出た温泉は、50度以上もあるため熱すぎてそのままでは入浴できません。
かといって水で薄めてしまうと、温泉として有効な成分も薄まってしまいます。
そこで昔の草津の人々は、空気に触れさせて冷ます手段として湯樋を作りました。
柵内にある7本の湯樋は熱い源泉を外気に触れさせて、効率よく適温まで下げ、湯滝として流れ落ち、各浴場へと供給されるのです。
湯樋のもう一つの役割は湯の花を採取することです。
湯の畑と書いて、湯畑。
その名の由来はまさに、湯の花を採るための畑、という意味合いからと考えられています。
硫黄分を多く含む草津温泉は、地中から湧き出した時点では無色透明ですが、空気に触れると白濁して温泉成分が結晶化した湯の花が沈殿します。
湯の花は年に4回職人の手によって採取されます。
採取された湯の花は、町の工場で1ヶ月ほど自然乾燥させ、容器に詰めて、町内のお土産物店や一部の旅館で販売されています。
湯畑を囲っている石の柵に、人名がいくつも並んでいます。
これは平成12年に町制施行100周年を記念して「草津に歩みし100人」として刻印されたもので、歴史上草津を訪れたことのある偉人・著名人を100人選出して名前を刻んでいます。
ヤマトタケル、源頼朝、前田利家といった歴史上の人物から、石原裕次郎、渥美清といった名優、志賀直哉、井上靖、菊池寛などの小説家などそうそうたる100人が名を連ねています。
この人名のなかに芸術家の岡本太郎の名前がありますが、実は湯畑の特徴的なデザインは岡本太郎が代表を務めた現代研究所によって1975年に設計したものです。
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