三沢神社
出雲大社の歴代宮司が執り行ってきた代替わりの儀、神賀詞(かむよごと)。
奈良時代から続くこの神聖な儀式のなかで奥出雲の三沢神社が重要な役割を果たしていることをご存知でしょうか。三沢神社は出雲国風土記にも載っている大変古い神社です。出雲国風土記に登場する数々の伝承をもとに現代によみがえる出雲神話の世界を覗いてみましょう。
今なお残る出雲国風土記に書かれた三沢神社
出雲国風土記(いずものくにふどき)には三沢の社(みざわのやしろ)と書かれています。それから200年位あとに延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)というのが国から出ていますが、それにも三沢神社の名前は載っております。それから時代が下って、室町時代になると、大森大明神社(おおもりだいみょうじんじゃ)となっています。それが明治維新まで続いています。そして明治以降は三沢神社に戻り現在に至っています。
出雲国風土記には、仁多郡(にたのこおり)の中には4つの郷(さと)があると書かれています。三所の郷(みところのさと)、三沢の郷(みざわのさと)、布勢の郷(ふせのさと)、横田の郷の四つです。その中で一番大きいのが三沢の郷なのです。郷というのは昔でいう村のことです。
それで「みざわ」という言葉の由来ですが、出雲国風土記の伝承が元になります。その伝承というのが、ご祭神であるアジスキタカヒコネの命の神話です。命はひげが長く伸びて成人になられても夜も昼も泣いてばかりで言葉を発することができなかったと。
そして親であるオオクニヌシの命は大変心配されて、船に乗せて様々な場所に連れて行って慰めましたが、泣きやまれなかったので、願をかけたんです。どうしてこの子はいつも泣きわめいていのでしょうか、教えてくださいと。すると不思議な事にアジスキタカヒコネの命がものを言われた夢を見たんです。そして朝起きて話しかけてみると「みざわ」と発したそうです。そこはどこかと尋ねると、川を渡って、坂を上って立ち止まり、「ここです」と答えました。
そこにはこんこんと湧き出る泉=三沢の池があったそうです。そこでアジスキタカヒコネの命が泉で体を清めると、すっかり健康を取り戻し泣くことも収まり、言葉も言えるようになったそうです。そんな伝承が出雲国風土記には書かれています。
三沢神社のガイドツアー
エリア | 日本 > 島根 > 奥出雲 |
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施設名 | 三沢神社 |
住所 | 島根県仁多郡奥出雲町三沢402 |
営業時間 | 24時間 |
Webページ | - |
アクセス | JR三成駅下車 西へ1km |
料金 | 無料 |