池袋をもっとディープに知ろう!
【PART.4】池袋チャイナタウン
「池袋をもっとディープに知ろう!」シリーズでは、池袋の歴史をディープに掘り下げるをテーマに、副都心への発展、闇市とスガモプリズン、女性オタク文化、チャイナタウン、文学・芸術の5つのパートにわけてご紹介します。記事を通して、池袋という都市の奥深い魅力をご紹介します。
この記事では、池袋チャイナタウンを特集します。 横浜中華街のオールドチャイナタウンとの軋轢から、池袋に新華僑が集まり、雑居ビルを中心に店舗を出していき、池袋チャイナタウンが形成されていく経緯をご紹介します。
1.池袋チャイナタウンは中国そのままの味や日用品が楽しめる
写真はイメージです
池袋にチャイナタウンがあるのをご存知でしょうか。
チャイナタウンというと、横浜中華街や神戸南京町、長崎中華街などの華やかな街並みを思い浮かべます。
東武池袋駅 西口付近
池袋駅西口(北)の出口にあるチャイナタウンは華やかな中華街とは違い、日常に馴染んだ姿です。
日本人向けではなく、中国そのままの味の中華料理店や日用品店があります。
観光化こそされていないものの、池袋のチャイナタウンにも歴史があり、文化があります。
今回の記事では池袋のチャイナタウンについてご紹介します。
2.池袋チャイナタウンは観光地化されていないが、華僑にとって故郷に近い街
池袋チャイナタウンとは、中華街とは異なる歴史や背景をもつ新興の中国人コミュニティのことです。
中国の地方で言うと東北人や福建人が多いようです。
また、女性の方が比較的多く、口コミを見て中華料理店などに訪れるそう。
「池袋チャイナタウン」という名称は、中華街や池袋チャイナタウンを研究する山下清海氏による命名です。
「私が池袋の中国人コミュニティに「池袋チャイナタウン」と名付けたのは2003年で、そのころにはすでに中国関連のお店が増え始めていました。」
出所:https://tabi-labo.com/291590/nippon-gaikoku-ikebukuro-chinese-2
池袋のチャイナタウンの特徴は雑居ビルの中に店があること。
中国人にとって池袋に店を構えるというのはひとつのステイタスとなります。
本来は多少家賃が高くても一階の路面に店を出したいとオーナーは考えていますが、あまり場所がないようです。
そのため、仕方なく雑居ビルの中に出店したことから、雑居ビルの中にチャイナタウンが生まれました。
池袋チャイナタウンは海外に移住した中国人=華僑にとっては、日本人向けに中華街よりも、故郷の味が楽しめる場となっています。
中国人留学生は横浜中華街を巡ってこう言ったといいます。
「ここはとてもおもしろい。だって、こんなところは中国のどこにもないです。ところで先生、いまから池袋へ行きませんか。池袋の方が本物の中華料理が食べられますよ」
出典:山下清海『池袋チャイナタウン 都内最大の新華僑の実像に迫る』2010年、洋泉社、p.15
池袋チャイナタウンは雑居ビルがメインとなり、観光地化されていないものの、華僑にとっては日本で一番故郷に近い場所と言えます。
3.池袋チャイナタウンの歴史
写真はイメージです
それでは、池袋チャイナタウンはどのようにして生まれたのでしょうか。
池袋チャイナタウンの歴史をご紹介します。
まず、かかせないのは横浜中華街の状況です。
1972年、日中国交回復を機に、横浜中華街に中華料理店が急増します。
闇市だった場所が中華街となっていましたが、1972年までは他の外国人も多かったようです。
横浜中華街に店を出す華僑たちは主に老華僑です。
老華僑とは、中国で1978年にあった改革開放政策以前に渡航した中国人のことを指します。
横浜中華街にいた老華僑は主に台湾、広東省出身です。
一方、池袋では1980年代末になると、学生ビザで来日した中国人留学生が多くいました。
池袋周辺には日本語学校と、飲食店、格安アパートがあったため、留学生にとって暮らしやすい場所だったと考えられます。
主に上海や福建省からの留学生が多かったのですが、福建省出身の犯罪が目立つようになり、入国審査が厳しくなりました。
福建省に代わり、遼寧省、吉林省、黒竜江省などの東北部の出身者が増えていきます。
池袋にやってきた中国人は東北人、福建人を中心にした新華僑であると言えます。
新華僑は、横浜中華街にも入って行きましたが、価値観の違いなどから、老華僑と新華僑の間で軋轢が生まれるようになります。
軋轢を感じた新華僑たちは、池袋や新大久保などへ移り、経営などを始めました。
1990年代に日本でバブルが崩壊すると、池袋で空き店舗が目立つようになります。
それまでは日本人を優先していたテナント経営者は、やむなく中国人をはじめとした外国人にテナントを開放します。
新華僑たちはこの空き店舗で中華料理店や、中国人向けの小売店を経営。
こうして雑居ビルを中心に増えていった新華僑による店が注目され、2000年代には池袋チャイナタウンとして認識されるようになります。
老華僑によるオールドチャイナタウンを通らず、新華僑によるニューチャイナタウンが作られる事例は北米やオーストラリアにもあり、池袋チャイナタウンもその一つに数えられるでしょう。
さらに中国人が増えたのが2008年の「留学生30万人計画」。
留学生として来日した中国人が池袋チャイナタウンに出入りし、そのまま住み着くようになりました。
4.池袋チャイナタウンの代表的な店
池袋 ロマンス通り付近
池袋チャイナタウンではどのような店があり、何が売られているのでしょうか。
池袋西口(北)に出てすぐにあるのか「陽光城」。
中国食品が安く手に入るスーパーマーケットです。
日本では食べる習慣のない犬肉や、野菜や活魚、冷凍食品が売られています。
数少ない路面店となり、池袋西口(北)すぐにあるため、池袋チャイナタウンのシンボルマークとなる店です。
池袋西口(北)前の大和産業ビル4階にあるのは「友誼商店」。
「陽光城」のライバル店であり、こちらも日本では見られない中国食材が並ぶスーパーマーケットです。
2010年に倒産した「知音中国食品店」のDNAを受け継ぐ店で、場所の歴史的にはかなり長い店となります。
同4階には「友誼食府」があり、フードコートで中華料理を楽しめます。
また、大和産業ビルの2階には「聞声堂中文書店」という書店があります。
中国語の書籍を扱う書店ですが、近年は本だけではなく、化粧品や医薬品もあります。
中には中国で扱えない本もあり、かなりディープなスポットです。
大和産業ビルの近くには、路面の飲食店「逸品飲茶 縁茗」があります。
飲茶が楽しめるので、女性にもおすすめのお店です。
そのほか、中国人向けの品揃えになったドン・キホーテ池袋駅北口店もみどころです。
5.池袋チャイナタウンは本場の中国を楽しめるディープな場所
池袋チャイナタウンの魅力がお分かりになりましたでしょうか。
池袋西口(北)を出ると、そこは異国のムードが漂う中国人の街となっています。
池袋チャイナタウンは新華僑である福建人や東北人が集まって出来た街です。
老華僑とのしがらみのない新天地である池袋チャイナタウンは、観光化されることなく、雑居ビルのなかの出店で大きくなっていきました。
池袋チャイナタウンで中華料理に舌鼓を打ちつつ、ディープな店を巡って本場の中国を楽しむ散策をしてみてくださると嬉しいです。
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