「醜い建物」の異名の最高裁判所に隣接するカヴール広場の歴史
典型的な近代ヨーロッパの星形広場
カヴール広場はイタリア統一後に完成した近代型の広場です。
広場中央には初代首相の彫像が置かれ、広場からは最高裁判所が見えます。
カヴール広場は、1900年代の初めに完成した広場です。
イタリア統一後、首都ローマをヨーロッパの先進都市レベルに引き上げていく必要性から、当時流行した近代都市様式が取り入れられています。
この広場は大きな長方形で、あらゆる地域に向けて大通りが伸びています。
このような形が「星形広場」と呼ばれる典型的な近代ヨーロッパの広場です。
中央には、初代イタリア王国の首相「カヴール公カミッロ・ベンソ」のブロンズ像が置かれ、その土台前面と裏面には「イタリア」と「ローマ」、側面には「実行」と「思想」の寓意像が見られます。
この広場に立って何よりも目につくのは、真っ白の巨大な建造物。「パラッツァッチョ」ではないでしょうか。
実はこの建物、最高裁判所なのですが、ローマ人は誰一人として最高裁判所と呼びません。
皆、常識のようにパラッツァッチョ、「醜い建物」という意味のあだ名で呼びます。
では、どうして「醜い建物」と呼ばれているのかを今からお話ししましょう。
イタリアが統一されるまでローマはバチカン教皇領として、ひっそりと小さな町並みを保ち続けてきました。
ところが、1861年のイタリア統一、それに続き1870年のローマへの遷都が決定しますと20万人ほどだった人口が50万人に達します。
その後、統一の50周年祭に向けてローマには、人口増加に合わせた新たな住宅街だけでなく、モニュメンタルで、ローマを代表する建造物が建てられていきます。
「パラッツァッチョ」もそのうちの一つで、グイエルモ・カルデリーニの設計で23年がかりで1911年に完成します。
完成した建物を見ると、一つの様式では言い表せないほど、これまでの歴史の中の様々なスタイルが折衷されています。
さらにはローマ教皇のサンピエトロ大聖堂のすぐ近くに、より大きな白い建物を国家の名の下で建ててしまったというのはキリスト教への冒涜と取られてもおかしくありません。
さらにはその前庭であるカヴール広場に大きな異国風のヤシの木まで植えています。
また、もともとテヴェレ川の河川敷であった土地ですから、地盤は弱く、建設した当時から毎年1ミリづつ地盤沈下を起こしているのです。
以上の様々な理由からローマ人は「パラッツァッチョ」と呼ぶ結果になったのです。
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