熱乃湯の湯もみと踊りショーを見る前に知っておきたい知識
草津温泉の伝統文化
熱乃湯はもともとかっけの湯と呼ばれていましたが、温度が熱い湯ということで「熱乃湯」(ねつのゆ)となりました。
源泉の直下に湯槽を作り、入浴していたとも考えられます。
湯もみと踊りショーは、1960年から開始し、熱乃湯も観光施設として1968年に建替えられました。
この建物は2014年まで46年もの長い間、たくさんのお客様をお迎えし、多くの方に親しまれました。
現在の建物は、2015年に大正ロマン風の建物に建て替えられました。
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草津温泉の源泉は熱く、50℃近いものがほとんどで、そのまま入浴することはとてもできません。
しかし温度を下げるために水を入れたのでは、温泉の効能が薄れてしまいます。
そこで、熱い源泉の中に約180cmの板を入れて湯をもみ、入浴できるまでの一定の温度に下げる湯もみが考え出されました。
また、「湯もみ」をすることにより、温度を下げるだけでなく、湯を柔らかくする効果や入浴前の準備運動にもなります。
湯もみは明治の初期の頃から本格的に始まったと言われ、この伝統文化を継承していくために、現在はショーとして形を変え、長く親しまれてきました。
ショーで実際に耳にすることになりますが、湯もみをする際には民謡である草津節や草津湯もみ唄が歌われます。
草津節は「草津よいとこ一度はおいで」で有名ですが、草津温泉を代表する民謡は、草津節(ドッコイショ)、草津湯もみ唄(ヨホホイ)、草津小唄(ヨイトサノサ)の3種類あります。
これを総じて湯もみ唄とされています。
湯もみはもともと、草津温泉独自の入浴法「時間湯」の一環です。
ショーの会場になる前は、熱乃湯も時間湯の施設として利用されていました。
草津には江戸時代より、簡易的な「湯もみ」や、高温の湯をなるべく動かさぬよう皆で同時に入り、同時に上がるという集団入浴法があったとされています。
その後、明治10年台前半にかけて、湯長と呼ばれる入浴指導者の号令で時間を区切って入浴する「時間湯」という入浴法が確立されます。
明治11年に新潟三条から草津を訪れた野島小八郎が、明治13年に熱乃湯の湯長となり、集団で3分間入浴する入浴法である「時間湯」を創始しました。
時間湯では、もともと入浴前に準備運動と湯冷ましをかねて、湯もみ歌を歌いながら湯もみをします。
その後、のぼせを防ぐために手桶で頭に30杯以上の湯をかぶります。
準備が整ったら、湯長の号令で一斉に入湯し、3分間湯に浸かります。
そして、同じく号令で一斉に上がります。これを1日4回繰り返すのです。
時間湯は、最盛期には6か所の浴場で行われており、ここ熱乃湯では昭和32年まで行われていました。
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