世界遺産アルハンブラ宮殿の見どころ13選を徹底ガイド
最後のイスラム王国の宮殿
グラナダにあり、世界遺産にも登録されているアルハンブラ宮殿は南スペインの観光の目玉となっています。
さらに、歴史を知れば、この宮殿をより楽しむことが出来ると思います。
スペインと言うとキリスト教の国というイメージがあるかもしれませんが、コルドバなどの南部の都市は8世紀以降、長い間イスラム教徒の支配下にありました。
いくつものイスラム王朝が生まれては、栄華を極めた果てに消えていきました。
それと同時に、キリスト教徒側も国土を取り返そうとする動き、いわゆる「レコンキスタ」を行い、イスラム教徒側から少しずつ国土を取り返していきました。
この「レコンキスタ」が、1492年に完了した場所が、当時のイスラム王朝のイベリア半島の拠点だった、グラナダの街、そしてアルハンブラ宮殿だったのです。
アルハンブラとは、アラビア語で「赤」という意味で、「赤い城」とも呼ばれていますが、実際に城壁の石壁が多量の赤鉄を含んでいます。
当時、アルハンブラ宮殿を造った建築家たちは、建築の秘密が外に漏れないように完成後に殺されたと言われています。
敵から攻撃された場合、城の弱点を知られないよう、との考えからなのでしょうが。。しかし、建築した人たちを殺してしまうなんて、恐ろしいですね。
それでは、アルハンブラ宮殿で見るべき13のスポットをご紹介します。
1.グラナダの門
アルハンブラ宮殿の最初の城壁は、グラナダの門を通って入ります。カルロス5世の時代に建造されたもので、グラナダとはざくろのことです。
アーチの上に、ざくろの実が3つある石の彫刻がありますね。
16世紀に作られたものなので、ルネッサンス様式です。
石の塊を積み重ねてできています。
並木道の両側には、シエラ・ネバダからの雪解け水が流れています。
2.裁きの門
この門の由来は、この場所で民事裁判が行われていたことから来ています。ここで注目したいのは、門の上の方に描かれた手形と奥の方に描かれた鍵です。
手はイスラムの5つの戒律、それぞれ神の統一、祈り、断食、布施、巡礼を意味しています。
鍵はムハンマドに渡されたダヴィデの鍵のことで、信仰の象徴のようなものです。
ここには地元に伝わる興味深い伝説があります。
かつて、一人のイスラムの王が悪魔に魂を売り渡し、魔術を用いてこの宮殿に魔法をかけました。
手と鍵は魔術の仕掛けで、この城を守っているのです。
ですから、度重なる地震にもびくともせず、いまだ建設当時の姿で立ち続けているのだと。
しかし、その魔術の力もいつかは弱まるときが来ます。
その日、門に刻まれた手が伸びて、運命の鍵をつかむといいます。
その瞬間、この宮殿は崩れ落ち、隠された財宝が姿を見せるのだと。
3.カルロス5世の宮殿
ローマのコロッセオを模して造られたこの宮殿では、当時実際に闘牛や中世騎士の決闘が行われていました。柱は、ドリス式が32本とイオニア式、これらの柱は、力のシンボルを表現しています。
この宮殿は、未完成の宮殿なので屋根がありません。
4.メスアールの宮殿(裁きの部屋)
グラナダでも最も重要な遺産、ナスル宮殿のもっとも古い部分であるメスアールの宮殿です。ここはかつて政治が行われていた場所。
王と謁見したり、会議を行っていました。
壁の上の方に施されている、漆喰細工なども見ておきたいところです。
その下のモザイク模様のタイルには、かつてカルロス5世によってここの城主に任じられていたメンドッサ家の紋章が記されています。
5.アラヤネスの中庭
アラヤネスの中庭は、イスラム建築の特徴をよく表しています。それは、空間をうまく利用してより広く見せること、目指すところは、自然との調和です。
ふんだんに使用している水と影の調和は、素晴らしい、の一言です。
この庭を見渡してみると、水や花、光と影を重視しているのが分かるのではないでしょうか。
いずれも、無味乾燥な砂漠にやすらぎを与える存在です。
池の水面が水鏡になっていて、そよ風が吹くと砂漠の蜃気楼の様です。
6.大使の間(コレスの塔)
コレスの塔は高さが45メートルもあり、アルハンブラ宮殿にある建物の中で最も高い塔です。ユスフ1世の建設により造られ、内部の大使の間は王の公式行事の場として使用されていました。
きれいな正方形の大使の間は、11m四方です。
この部屋は、壁から天井まで、どれほどの労力が費やされたか、想像できないほど繊細精密にアラベスク模様が彫られています。
まさにサラセン芸術の最高傑作です。
この天井は14世紀の当時のままで、まるでプラネタリウムのようです。
これらは寄せ木細工でできています。
7.ライオンのパティオ、中庭
ライオンの中庭はアルハンブラ宮殿のなかでももっとも目玉になる場所です。その名前は、中央の12頭のライオンが由来です。
また、ここは私的な空間で、アラブの王達が愛人と快楽生活を楽しんだハーレムだったそうです。
2階には当時、12歳以上の女性が使用した部屋が並んでいます。
ムハンマド5世が命じて作らせたこの中庭は、キリスト教の回廊のようにズラリと柱廊で囲まれています。
先ほど見たアラヤネスの中庭のような典型的なイスラム式の庭とはずいぶん様子が異なりますね。
柱は全部で124本。その上部に刻まれた装飾は見ものです。
8.アベンセラスの間
アベンセラスの間は、この部屋でアベンセラス家の男性たちが打ち首になったという言い伝えからこの名前がついています。しかし、歴代のどの王の時代の話なのかは専門家の間でも議論が続いています。
部屋の中央にある水盤をよく見てみてください。
シミのようなものがあります。
言い伝えによると、これがアベンセラス家の人々が打ち首になった時の血の跡だと言われています。
9.二姉妹の間
この部屋は、国王の夫人の部屋でした。当時、国王は36人の妻がいて、最後の夫人2人が利用していました。
二姉妹の間とは、2人の姉妹がいたという訳ではなく、入口の小さな噴水の両側に大きな大理石の墓が2枚あることからこの名がつきました。
10.王の間
この部屋の注目は、天井画です。偶像が禁止されていた10世紀ごろから、手写本の挿し絵として小さな絵がごく遠慮がちに出現した、細密画と呼ばれるものです。
3つの木製の屋根に描かれた絵を見上げてみてください。
中央の丸屋根に描かれているのが、ナスル朝の最初の10人の王たち。
この部屋の名前の由来でもあります。
両隣の天井には、狩りをしている騎士たちや恋物語的な場面が描かれています。
11.アーヴィングの部屋
ここはワシントン・アーヴィングの部屋。1829年に2ヶ月間この部屋に滞在し、「アルハンブラ物語」を執筆しました。
彼は、ニューヨーク生まれですが、母親はイギリス人、父親はスコットランド人です。
大理石の板には、「ワシントン・アーヴィングは、ここに住み、アルハンブラ物語を書いた」と刻まれています。
部屋に入ると、彼の滞在100周年を記念して「アルハンブラ物語」の初版本や他の国の翻訳本が展示されています。
12.浴場
浴場は古代ローマの公衆浴場をモデルにしています。浴場に入ると、まず脱衣所があり、部屋の中央には4本の柱と噴水、そのまわりには回廊があります。
2階もありますね。
言い伝えでは、王が2階の回廊から、入浴している妻たちを覗き、その日寝室に呼ぶ妻にリンゴを投げ渡したと言われています。
13.ヘネラリフェ(王の夏の別荘)
この庭園には、日本から持ち込まれた竹と柿や、糸杉、などが植えられています。糸杉の壁の向こうには、円形劇場のようなものがありますが、これは、1931年ファリアが初めて民族音楽祭を開催、これが、契機となって毎年夏に音楽祭が開催されています。
庭園には、シエラ・ネバダの雪解け水を利用しています。
水が流れる階段のみオリジナル部分、グラナダ王区時代のものです。没落後から1921年まで個人所有だったので、改変の手が加わっています。
施設情報
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