一体何を描いているの?プラド美術館に行く前に知っておきたい背景知識!
王家のコレクションをもとにオープンした美術館
プラド美術館は、スペイン絵画を始めとする名画が集まる世界屈指の美術館。
1819年に王家のコレクションをもとにオープンしました。
ベラスケスやゴヤの名画をはじめとする8000点の作品を誇り、年間250万人が訪れる世界屈指の美術館です。
ここでしか見られない名画「ラス・メニーナス」や「着衣のマハ」、「裸のマハ」など一度は見たい傑作が展示されています。
1562年に描かれたこの作品のテーマは、当時の日常風景。
おそらく作者がイタリア滞在時に見た光景を描いたとされ、骸骨のようにやせ細った兵士たちが迫りくる圧倒的な死に対して儚くも抵抗する様子が見られます。
登場する人物は、農民、兵士、王や貴族など様々な階級の人々。
いずれも殺戮され、死体として転がっています。
頭蓋骨満載の荷馬車を白馬に乗った骸骨が引いています。
その荷馬車に轢かれている人物は、糸巻き棒と紡錘を握っているのですが、これらは当時命の儚さを象徴するものとされていました。
荷馬車の手前に赤いマントを来た人物が描かれていますが、これは国王。
財宝を略奪されているところです。
ところどころに描かれている骸骨は死の象徴であり、身分を問わずすべての人々を蹂躙しています。
画面右側に描かれている骸骨の大軍は、人間の生と幸福を象徴する晩餐を破壊し、虚しい抵抗を蹂躙しながらさらなる進軍を続けています。
ブリューゲルが描いた「死の勝利」は、絶望的な場面描写によって、すべての人に襲いかかる死の圧倒的な存在感が描かれた名画といえます。
作者のピーテル・ブリューゲルはおそらくベルギーの生まれであろうとされていますが、彼の生涯については詳しいことは殆どわかっていません。
1525年頃に生まれ、30歳の頃からアントワープで創作を開始し、その後数年間イタリアで修行。
1569年になくなったとされています。
ブリューゲルの生きた時代は激動の時代でした。
宗教改革が始まり、弾圧された時代。
自然科学が発展し、大航海時代が始まった時代。
南からヨーロッパ全土にルネッサンスが広まっていった時代。
そうしたなかでブリューゲルは農民を題材にした作品を数多く描き、「農民ブリューゲル」と呼ばれていました。
1819年に制作されたフランシスコ・デ・ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」は衝撃的な作品です。
白髪を振り乱した裸の巨人が貪り食っているのは、実の我が子。
子どもの頭部は既に無く、今まさに左腕を噛みちぎろうとしています。
きつく握りしめた指先は子供の体を突き破り、血が滲んでいます。
このショッキングな絵のモチーフはローマ神話の伝承から来ています。
ローマ神話に登場する巨人サトゥルヌスが自分の子に殺されるという予言を受け、恐怖のあまり5人の子供を次々と飲み込んでいったというエピソードです。
巨人サトゥルヌスは、大地の女神ガイアと天空神ウラノスの間の子供です。
しかし、サトゥルヌスは長じて父ウラノスを大鎌で去勢した挙句に殺してしまいました。
そのときの父ウラノスの最後の言葉が、
「お前もまた自分の子供に殺されるだろう、、、」
父を殺したことで、神々の頂点にたったサトゥルヌスですが、父の予言に怯え続けることとなります。
そしてついに、妹であり、妻でもあるレアとの間にできた5人の子どもたちを次々と食らうという狂気に陥ってしまったのです。
なんとも目眩のするエピソードですが、ゴヤの手によることで伝承のように丸呑みするのでなく、頭からかじり、食い殺すというさらにリアリティのある作品になっています。
サトゥルヌスの表情にも注目です。
限界まで目を見開いたその表情に浮かんでいる感情は何でしょうか。
我が子を食い殺すに至った狂気なのか、絶望なのか。
どことなく自らが行っている狂気的な凶行に認識が追いつかず、愕然としているようにも見えます。
この作品はゴヤの黒い絵シリーズの一つとして有名です。
1815年以降のゴヤは宮廷画家でありながら実質的には引退して、友人のために絵を描いていました。
この時期ゴヤは通称「ろう者の家」と呼ばれる別荘を購入し、有名な黒い絵のシリーズを書き始めます。
ろう者の家に飾られた14の黒い絵には、名がついておらず、ゴヤによる説明もありません。
この我が子を食らうサトゥルヌスを筆頭に、いずれも似たような色彩の悲観的な作品です。
説明のなされていないこれらの黒い絵の解釈は多岐にわたりますが、その根源にあるものがゴヤの内面に渦巻く怒りであることは間違いないでしょう。
40代で聴覚を失ったにもかかわらず、戦争と革命で疲弊していく祖国を観察し、鋭い探究心で人間と社会を描き続けたゴヤ。
その晩年に自分のために描いた絵の一つが、この我が子を食らうサトゥルヌスです。
プラド美術館の至宝「ラス・メニーナス」。
この美術館でもっとも有名な作品といってもよいかもしれません。
一見しておとなしい作風のこの作品ですが、特徴はまずスナップ写真のように「ある瞬間」を絶妙なタッチで切り取っていること。
そしてもう一つは、作者とモデルと私達鑑賞者の視点が行ったり来たりする、という不思議な構図になっていること。
この絵の舞台は国王フェリペ4世の城のなかにある皇太子の間であることがわかっています。
中央の少女は当時5歳のマルガリータ王女。
二人の侍女にかしずかれています。
お辞儀をしているのがイサベル、水差しを王女に勧めているのがマリアです。
侍女をスペイン語でラス・メニーナスと呼ぶので、現在の名前がついています。
侍女と王女の右側には、子供のような背格好をした二人の人物と犬が描かれています。
実はこの二人は軟骨無形成症。
当時のスペイン宮廷は異形の人々を慰みものとしてそばに置くことがありました。
左のマリバルボラは王妃のお気に入り。
侮辱されると決して許さなかったために一目置かれていました。
右の犬を蹴っている少年はニコラス。
彼もまた小人ですが、誇りが高く、のちに国王の執事となります。
王女たちの左側には、絵筆とパレットを持った画家が描かれています。
実はこの人物はベラスケス自身。
彼は一体何の絵を描いているのでしょうか。
そのヒントは、奥にかけられた鏡です。
二人の男女が写っています。
これは国王フェリペ4世とその王妃マリアナです。
二人はちょうど絵のポーズをとっているところから、ベラスケスが描いているのは二人の肖像画であることがわかります。
とすると、王女マルガリータが不機嫌な様子でこちらを見ているのもマリバルボラが、その様子にいかが致しましょう、とばかりにこちらを伺っているのも、実はふたりとも国王夫妻を見ているのだと気づきます。
つまり、このラス・メニーナスという絵自体が、国王夫妻の視点から描かれているのです。
これがラス・メニーナスの非常に計算されつくされた魅力なのです。
絵の中の登場人物がこちら側に立ち、こちらの反応を伺っているのです。
まるで絵の中に取り込まれてしまうような感覚を覚えませんか。
この絵は公式の肖像画ではなく、ベラスケスがフェリペ4世のために描いた絵です。
フェリペ4世は夏の執務室にラス・メニーナスをずっと飾っていたという記録が残っていることから、二人の信頼関係を伺わせます。
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