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刀剣乱舞ファンは知って欲しい!最高傑作、名刀中の名刀を紹介

公開日:2021.10.26 更新日:2022.11.16

目次

皆さんはここ数年来、日本刀がブームになっていることをご存知でしょうか。名刀を男子に擬人化した“刀剣男士”が活躍するゲーム&アニメ『刀剣乱舞』をきっかけに、日本刀に興味を持つ若い女性ファンが増えているためです。

そこで今回の記事では、知っているようで意外と知らない日本刀に関する基本的な知識と、刀剣界のレジェンドとも言える名刀のプロフィールについてまとめてみました。

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Pokke編集部
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1.日本刀について教えて欲しい!その定義と特徴、種類など

日本刀の定義

日本刀とは、昔ながらの鍛治製法(折り返し鍛錬法)で作られた刀類の総称です。

刀や剣は古墳時代の前後から作られていましたが、平安末期以降に主流となった片刃で反りのある刀剣を、通常は日本刀と呼んでいます。木刀や竹刀、模擬刀に対して真剣と呼ばれることもあります。

外国の刀や剣と違って、外装の装飾とは別に刀身自体も美術品としての価値を持つのが日本刀の特徴でもあります。

日本刀の種類

種類は寸法によって長い順から太刀(たち)、打刀(うちがたな)、脇差(わきざし)、短刀の四つに分類されるのが一般的ですが、広い意味では槍、なぎなたも日本刀のカテゴリーに入ります。

芯となる柔らかい鉄を硬い鋼で包み、それを熱しながら何度も叩いては伸ばすという工程を経るため、強靭さと切れ味の良さは外国の刀剣と比べると図抜けています。

かつてTV番組の企画で「日本刀でマシンガンの弾丸を切れるか?」という実験が行われましたが、飛んで来る弾丸は見事に真っ二つとなり、日本刀の切れ味の凄まじさを改めて世間に知らしめました。

2.現存する日本刀の中の最高傑作とは

国宝中の国宝「大包平」

名刀と呼ばれるためには、工芸品としての美しさと、武器としての性能の高さを兼ね備えていることが条件となります。

そして現在、国宝指定されている名刀は100本以上ありますが、その中にあって「国宝の中の国宝」と称される横綱級の名刀が、東京国立博物館に所蔵されている「大包平(おおかねひら)」です。

作者は平安時代の名工・包平で、彼の最高傑作ということから大包平と呼ばれるようになったと言われています。

最高傑作の大包平は誰が持っていた?

大包平を代々所蔵していたのは備前岡山藩を治めた池田氏であり、最初に手に入れたのは、世界遺産の「姫路城」を現在残っている姿に修築したことで知られる池田輝政です。

そして1967年に国が池田家から大包平を買い取ったのですが、対価は6,500万円で、現在の貨幣価値に換算すると約2億7,000万円に相当します。

なお池田家以前の伝来については一切不明となっています。

3.名刀中の名刀と言われた「天下五剣」とは?

室町時代から名刀中の名刀として全国にその名を馳せ続けてきた「天下五剣」です。

日本の名刀①「童子切(どうじぎり)」

大包平と並んで“日本刀の東西の両横綱”と称される国宝です。平安中期の名工・大原安綱の作品で、源頼光が大江山の酒呑童子の首を切り落とした際に使ったと言われることから、この名で呼ばれています。

その後足利将軍家から豊臣秀吉を経て徳川家の手に渡り、第二代将軍徳川秀忠の娘・勝姫の嫁ぎ先である松平家に与えられました。

そして第二次世界大戦後に松平家から売りに出され、数名の個人所有となりますが、1963年に国が2,630万円で買い取り、現在は東京国立博物館に所蔵されています。

日本の名刀②「三日月」

天下五剣の中で最も美しいと言われる国宝です。紫式部や清少納言らによる平安女流文学が花開いた平安中期に、名工・三条小鍛冶宗近によって作られました。

元は「五阿弥切」という名でしたが、刀身に三日月形の波紋が数多く見られたことから、後世の人がこの雅な名で呼ぶようになったとのことです。

足利将軍家の秘蔵の名刀として受け継がれた後で秀吉の手に渡り、秀吉の正室高台院(ねね)から徳川秀忠に贈られ、以後徳川家の所蔵となりました。

そして第二次世界大戦後に個人所蔵となりましたが、1992年に当時の所蔵者から東京国立博物館に寄贈されました。

日本の名刀③「大典太(おおでんた)」

平安時代に三池典太光世(みいけでんたみつよ)によって作られた国宝です。

元々は足利将軍家伝来の家宝でしたが、秀吉を経て加賀藩・前田家の所蔵となり、前田家の三種の神器として大切に受け継がれてきました。

現在も、加賀藩主家伝来の文化遺産の保全を行なっている前田育徳会が所蔵しています。

凄まじい切れ味を持つことで知られ、大典太を保管していた蔵に止まった雀まで切ってしまうため、蔵までが「鳥止まらずの蔵」と呼ばれたとの伝説が残っています。

日本の名刀④「鬼丸(おにまる)」

鎌倉時代の刀工・粟田口国綱の作品です。

五代執権・北条泰時が、毎夜夢に現れる小鬼に悩まされた頃、「この刀の錆を落とせば小鬼を退治できる」という夢のお告げに従い錆を落とすと、以後小鬼の夢に苦しまなくなったため、鬼丸と呼ばれるようになりました。

その後北条家から新田義貞、足利家、豊臣家を経て徳川家の手に渡り、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)に皇太子が誕生した折に徳川家から鬼丸が献上されましたが、まもなく皇太子が急逝したため、「不吉な刀」として戻されています。

その後明治天皇の元に取り寄せられ、御物として皇室の所蔵となりました。

日本の名刀⑤「数珠丸(じゅずまる)」

鎌倉時代の刀工、青江恒次(あおえつねつぐ)の作品です。日蓮宗の宗祖・日蓮上人が信者から寄進され、「破邪顕正の剣」として柄に数珠を掛けて所持したため、数珠丸と呼ばれるようになったと言われています。

没後は遺品と一緒に身延山久遠寺に保管されていましたが、享保の頃に消失し、1920年に再発見されました。1950年に重要文化財に指定され、現在は兵庫県尼崎市の本興寺が所蔵しています。

4.まとめ

いかがでしたでしょうか。

ここで取り上げた以外にも、織田信長が所有していた名刀で、押し当てるだけで斬れたことがその名の由来となった「圧切長谷部(へしきりはせべ)」、徳川家の縁者が何人も命を落としたため妖刀と言われた「村正(むらまさ)」など、様々な名刀が今の世に伝えられています。

昨今の刀剣ブームのおかげもあって、名刀の展示イベントは各地で増えてきました。興味を持たれた方はぜひ一度足を運んでみて下さい。

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