都市からガイドを探す▼

カンポ・ディ・フィオーリ朝市

お土産探しに最適な「花の広場」の朝市

最高のローマの朝を満喫!カンポ・ディ・フィオーリ朝市に行ってみよう

「花畑」の名がつく小さな広場カンポ・デ・フィオーリ広場では、毎朝7時くらいから、野菜や果物、雑貨、食料品の市が立っています。15世紀から続くこの広場はお土産探しに最適の場所です。かつては処刑場だったという陰惨な歴史とは裏腹に現在は自由で活気に溢れています。

カンポ・ディ・フィオーリの朝市の様子とその歴史

カンポ・ディ・フィオーリ朝市は青空市場で賑わう、庶民的な地域です。広場の周囲には、所狭しとレストランが立ち並び、週末の夜になると、ヴィネリアといって手頃なワインをグラスで出す立ち飲みの店があり、若者たちが集う趣のある広場です。

1400年ごろまでは、花畑が広がる地域であったため、「花の広場」と呼ばれていました。
1440年より、当時の教皇により、石畳で舗装され、店や宿屋、本や、飲食店などが立ち並ぶ、活気のある広場となっていきます。

周囲には家も立ち並び、商売人や巡礼者など様々な人の往来がある地域ですので、週に2度馬市場も開かれていたようです。この歴史ある市場にまつわるエピソードは枚挙にいとまがありません。

かつては公開処刑や鞭打ち刑の場だったカンポ・ディ・フィオーリ

ガッロ路地に入ってすぐのところの壁にアーチが残されており、牛が片隅に浮き彫られた家紋がありますが、それはかつてのヴァッカ宿の跡です。1400年代終わり頃、この宿屋の主人であり、不動産業や両替商も営む実業家であったヴァネッサ・カッタネイは、当時枢機卿であった未来の教皇アレクサンデル6世より見初められ、公然の妾となりました。その関係は15年にも及ぶもので、彼らの間にはチェーザレ・ボルジャなど4人の子供が生まれています。

カトリックの聖職者は、結婚することがありません。しかしルネッサンス時代の教皇たちは、よく愛人を持ち、子供が生まれると口が裂けても自分の子だとは公言できないために、甥だ、姪だと偽っていたわけです。その筆頭となるのがアレクサンデル6世であり、教皇史上最も悪名高き教皇です。

カンポ・ディ・フィオーリは、公開処刑の場または鞭打ち刑の場としても使われておりました。

1600年、ドメニコ会の修道士であり、哲学者そして、近代科学の先駆者とも言えるジョルダーノ・ブルーノはここで当時の教皇クレメンス8世の命により、火刑に処せられます。当時のカトリック教会は厳格でキリスト教義に反する説を唱える者や疑わしい者を幽閉し、拷問し、火あぶりにしていました。

ヴィクトル・ユゴーなどによって再評価されたジョルダーノ・ブルーのの銅像

ブルーノは、コペルニクスの地動説を擁護し、カトリック教の禁書を熟読し、当時のカトリック教の教義を否定する立場にいました。異端審問刑務所にて、拷問を交えた尋問が何年にもわたって行われるも、彼は自身の説を撤回せず、異端の罪で処せられることになるのです。

19世紀後半になって、ヨーロッパ中のインテリたちの間で、ジョルダーノ・ブルーノは再評価を受け、ヴィクトル・ユゴーなどが参加し、委員会が開かれ、火あぶりが行われた場所にブルーノの銅像を建てる計画が進みます。現在広場の中央に立っているのがまさにそれで、1889年完成、エットレ・フェッラーリの作品です。

さて、この広場の近くの道を少し地図で見てみてください。中世期の同業者それぞれが軒を連ねていた道が、そのまま名前になっています。ジュボナーリ通りは、上着屋、仕立屋、カッペッラーリ通りは帽子屋、バウラーリ通りは(こうり)、カバン屋、トランク屋といった意味です。

続きは、カンポ・ディ・フィオーリ朝市のガイドを聴こう

カンポ・ディ・フィオーリ朝市のガイドを、トラベルガイドアプリ「Pokke」で聴くことができます。音楽と声といっしょに、カンポ・ディ・フィオーリ朝市の刻む歴史と朝市を楽しみましょう。

カンポ・ディ・フィオーリ朝市の物語をPokkeで聴いてみる

インストールは無料です

ローマの他のオススメスポットも見てみよう

ガイドを都市で探してみる

ガイドを国で探してみる

国の一覧を見る

Pokkeは、最高な旅に必須のアプリです。

様々な観光スポットを音声で案内してくれる音声ガイドツアーアプリ。 その場所の見どころポイントだけではなく、歴史や文化、秘密、エピソードなども聴くことができます。 Pokkeで音声ガイドを聴きながら旅をすれば、ただ見て回るだけでは分からなかった世界が見えてきます。 あなたもPokkeと一緒に出かけてみませんか?

© 2018 MEBUKU Inc.