『ストーンヘンジ』は何のため?どのように造られた?歴史と目的を解説
世界で最も有名なストーンサークル
ストーンヘンジは、ロンドンから西に約200キロメートル離れた、ソールズベリー平原にあるユネスコの世界遺産です。
イギリスには1,000カ所以上のストーンサークルがありますが、その中心とも言えるストーンヘンジには、毎年100万人近い観光客が訪れます。
ストーンヘンジが造られた時期は大きく3つに分かれています。
初期の段階、木造の段階、石造の段階の三段階の発展が考えられていて、現在目の前に見えるストーンヘンジは最終段階に近いものです。
ストーンヘンジの初期段階|紀元前3000年頃
紀元前3000年頃、ソールズベリー平原で最初に円形の土塁が造られました。
直径115メートルにも及ぶ円形の土塁、つまり「ヘンジ」を造ったのです。
ヘンジとは壕(ほり)を掘って、その内側に高い土手を築いたものでした。
それが現在も残っている、巨石の周りの円形の土塁部分です。
現在、ストーンヘンジを見学するための道はヘンジ内に入っています。
ですから、私達が通る道は5000年前に造られたヘンジの中ということになります。
ヘンジの周りの壕の部分に特別な意味は無く、あくまでも土塁を造るための土を採取するためのものと考えられています。
ストーンヘンジの木造段階|紀元前2900年頃~紀元前2600年頃
次の第二段階は、第一段階から100年ほど経った、紀元前2900年頃のことです。
この時期、ヘンジの北東の入り口付近と、現在巨石のある中央辺りに木造の柱が建てられました。
しかし、この第二段階の木造の柱は数百年で廃れたとされています。
ストーンヘンジの石造段階|紀元前2600年頃
一番複雑な最終段階が紀元前2600年頃から始まりました。
まずはブルーストーンによる二重のストーンサークルができました。
しかし、ストーンサークルは後に取り除かれたので現在確認することはできません。
ヘンジの外側には、2本の並行する土手に挟まれたアヴェニューと呼ばれる道が北東に伸びました。
そしてアヴェニューには、高さ6メートルのヒールストーンが建てられました。
これは現在車道のすぐ近くにポツンと斜めに建っている巨石のことです。
また、ヘンジの内側にステーションストーンが建てられました。
現在、ストーンサークルの外側に転がっているように見られるいくつかの石がステーションストーンです。
そして、中央部には祭壇石のアルターストーンが建てられました。
アルターストーンは直立しているストーンサークルの中で横たわっている巨石のことです。
その後、中央部は一変し、現在のような形になります。
おおよその年代は分かっていますが、遺跡が作られた目的については様々な説があります。
死者の埋葬、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂、ヒーリングスポット、などと考えられていますが、どれも確証がありません。
もう一つの説が、天文台として作られたのではないか?というものです。
他の古代遺跡に見られるように、ストーンヘンジにも「太陽」の動きを観測する仕組みがあります。
そのことから、ストーンヘンジは天文台として造られたのではないか、という説もあります。
1年で最も昼が長い「夏至」のときに、太陽は車道の近くのヒールストーンの付近から昇り、中心の祭壇石に向かって朝日が直線的に差し込みます。
このような配置は単なる偶然では起こりえないとされています。
また、反対に「冬至」のときには、同じラインの反対の端が日没の方向となります。
つまり、冬至の日没に向かって配置されているとも言え、ストーンヘンジは夏の日の出と冬の日の入りを見通すことができるのです。
太陽は「生」の象徴であり、その力が最大となるのが、最も日の長い「夏至」です。
その力を少しでも取り込もうとするのは、古代人に共通した欲望であり、太陽に対する純粋な信仰のあらわれです。
一方、「死」の象徴とされるのが、最も日の短い「冬至」となります。
つまり、1年という太陽サイクルは、夏至に生まれ、冬至に死ぬのです。
このことから、ストーンヘンジは、天空の事象を観察するための天文学的特徴を持った施設であるとも考えられています。
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