古代ローマの政治・経済・宗教の中心フォロ・ロマーノの歴史
ローマ市民の広場
フォロ・ロマーノは約2000年前の古代ローマ遺跡で、世界遺産に指定されています。政治・経済・宗教の中心として栄えました。壮大な神殿や凱旋門がそびえ立ち、水道が張り巡らされていた当時の面影を見ることができます。
「フォロ」は「フォーラム」という言葉の語源で、多くの人が集まる場所を意味しています。そして、「ロマーノ」は「ローマ」という意味。つまり、フォロ・ロマーノとは、「ローマ市民の広場」です。東西に約300m、南北に約100mという巨大な敷地を有しています。
この壮大な敷地には、以下のような遺跡群が並んでいます。
アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿
エミリア公会堂
クーリア・ユリーア(元老院議事堂)
セプティミウス・セウェルス帝の凱旋門
フォーカス帝の記念柱
ユリウスのバジリカ
カストルとポルックスの神殿
ウェスタの神殿
ヴェスタの巫女の家
ロムルスの神殿
マクセンティウス帝のバジリカ
ティトゥス帝の凱旋門
一部、塔など不完全ながらも残された建造物から、当時の面影を想像することができます。
古代ローマ共和制の時代から、ローマに限らず、その支配下にあったポンペイや、ペルージャ、オスティアなどといった地方都市にもその町の中心となる広場が設けられました。
政治、商業、宗教、司法などの中心として、バジリカと呼ばれる長方形で屋根付きの多目的ホール兼裁判所兼商業取引所や、神々の神殿、政治家の演説台、マーケットなどが集中し、街の中心として機能していました。ローマは首都であっただけに、元老院や、民会議場、凱旋門なども建てられました。
やがて、共和制時代には手狭になり、帝政期の皇帝たちはそれぞれスペースを拡大し、フォロ・アウグスト、フォロ・デラ・パーチェ、フォロ・トランジトーリオ、フォロ・トライアーノなどといった独立したフォロが誕生していきます。
またテヴェレ川沿いには、フォロ・オリトーリオという青果市場や、フォロ・ボアーリオという生肉市場も並行して庶民たちの生活に根付いていきます。そしてそれら全てを総合したものをフォロ・ロマーノと呼んでいます。
施設情報
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