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中世のだまし絵!サンティニャツィオ教会の歴史と見どころ

300年前に描かれた中世のトリックアート

サンティニャツィオ教会はイエズス会の教会として二番目に建てられたもので、イエズス会の創始者「聖イグナティウス・デ・ロヨラ」の名前がつけられています。

トリックアートのような天井画「聖イグナティウス・デ・ロヨラの栄光」で有名な教会です。

サンティニャツィオ教会とイエズス会創設者

スペインのバスク地方出身のイグナティウス・デ・ロヨラは、パリ大学で一般教養と神学を学んでいる頃、フランシススコ・ザビエルを含む6人の同志と知り合い、グループを結成し神に人生を捧げる誓いを立てます。

7人は、修道会としての許可を得るため、ローマにやってきます。

当時の教皇パウルス3世により1540年に修道会は正式に認められました。

初代のイエズス会総長となったイグナティウスは会員たちを全世界に派遣し、布教活動だけでなく教育機関や神学校、寄宿学校などの創設を手がけます。

イエズス会の内部組織は、軍事的といえるほどのヒエラルキー制で、会員に教皇や上司への絶対服従を求めます。

それがイエズス会のモットー「神のより大いなる栄光のために」となりました。

イグナティウスは1551年にはローマにコレッジョ・ロマーノという小中高大一貫の学校を開きます。

無料で男性だけに入学が認められ、神学だけでなく、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、哲学などが教えられました。

当時はまだ小さな家を利用したものでしたが、のちに何度か転々とし、1584年にはちょうどこの教会裏に立派な校舎が建てられました。

このイエズス会の活動は当時の反宗教改革の発展に大いに貢献することとなりました。

イグナティウスは、1556年ローマで亡くなり、その後1622年教皇グレゴリウス15世により聖人として列福されます。

教皇は聖人イグナティウスが作り上げたコレッジョ・ロマーノの裏手に彼に捧げる教会を建設する計画を建てました。

それがこのサンティニャツィオ教会です。

だまし絵の天井画

教会内部は1廊式で、両脇にそれぞれチャペルが設置されるという広々としたイエズス会独特の造りとなっています。

入ったらすぐに天井を見上げてみましょう。

天井装飾はイエズス会修道士で画家であったアンドレア・ポッツォによるもので、「トロンプ・ルイユ」すなわち「騙し絵」法で描かれています。

入ってすぐの位置からは、まだ焦点が合っていません。

身廊中央を通りながら教会の中ほど手前まで進みます。

そうすると床に黄色い大理石の丸い印がはめ込まれているのが見つかります。

そこに立つと見事にぴったりと天井画の焦点が合うのです。

天にまで続くような青い空に向かって様々な人物が描かれています。

これが「聖イグナティウス・デ・ロヨラの栄光」です。

天井下部に女性が4人描かれているのが4大大陸の寓意です。

イエズス会による布教活動の成功を謳ったもので、入口近くの右側にはアフリカをイメージした黒人女性が、左側にはインディアンの格好をしたアメリカ、奥の右手にヒトコブラクダの上に座るアジア、左は権𠀋を持つヨーロッパです。

画面の中心に復活したキリストが十字架を持ってイグナティウスの方に舞い降りてくる姿があり、イグナティウス自身は天使の支える雲で天に向かう様子が描かれています。

その下に大きな鏡を持つ天使がイグナティウスから発せられた光を反射し、HISの文字を映し出しています。

床に先ほどの黄色い丸印があったところから少し先にもう一つの丸印があるのでぜひ探してみましょう。

その場所から天井を見上げると、見事なドームの内側が見えます。

少し薄暗いですが、ちゃんと上の方から光が美しく漏れていて。。。。

という風に見えたならば、それは目が騙されている証拠。

これもれっきとした騙し絵で違う角度から見ると天井は平面であることがわかります。

施設情報

施設名 サンティニャツィオ教会
エリア イタリア > ローマ
住所 Via del Caravita, 8a 00186 Roma
営業時間 月曜-土曜は7:30-19:00
日曜は9:00-19:00
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