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Pokkeインタビュー #006

空海を通じて、地域の歩みを知る
弘法大師生誕1250周年を記念した特別展の見どころを解説
香川県立ミュージアム『空海ー史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人』特別インタビュー

香川県高松市にある、香川県立ミュージアムでは、2023年4月22日(土)~5月21日(日)(前期:4月22日(土)~5月7日(日)、後期:5月9日(火)~5月21日(日))まで、弘法大師空海の生誕1250年を記念した特別展「空海―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人」が開催されています。

画像提供:香川県立ミュージアム


本展では、中国・唐から、インド伝統の正統密教を日本にもたらし、日本の歴史や文化に大きな影響を与えた、空海をテーマに、香川県内に伝えられる多彩な密教美術の数々を紹介しています。

Pokkeインタビューでは、香川県立ミュージアムの学芸員三好賢子(みよしまさこ)氏に「空海―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人」の見どころや作品の解説などをしていただきました。



ゲストプロフィール

香川県立ミュージアム 学芸員

三好賢子(みよしまさこ)氏
     

【公式サイト】香川県立ミュージアム

歴史博物館と美術館の機能を合わせ持つ、香川県立ミュージアム

── 2023年4月22日(土)から、これまでにない規模の空海をテーマとした特別展が開催されています。まずはじめに「香川県立ミュージアム」についてご紹介をお願いします。

香川県立ミュージアム外観,画像提供:香川県立ミュージアム

「香川県立ミュージアム」の原点は、1999年11月に開館した香川県歴史博物館にあります。香川県では、すでに博物館施設として、1966年4月に香川県文化会館、1973年11月に瀬戸内海歴史民俗資料館が開館していました。

2007年から2008年には歴史博物館を本館として、これらの文化施設を統合し、現在の「香川県立ミュージアム」が誕生しました。本館と2つの分館から構成され、現在に至っています。

JR高松駅や高松港を中心とした文化・歴史ゾーンに位置しており、歴史博物館と美術館の機能を合わせ持つ総合的なミュージアムとして、多岐にわたる活動を行っています。

香川から、空海の壮大な事績に想いを馳せて

――「香川県立ミュージアム」のご紹介ありがとうございました。さて、特別展「空海―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人」はどのような展覧会なのでしょうか。

特別展会場の様子,画像提供:香川県立ミュージアム

2023年は、宝亀(ほうき)5年(西暦774年)に弘法大師空海が香川県(讃岐国)に誕生してから、1250年目にあたる年となります。 この節目の年を記念し、郷土の偉人である空海をテーマにした特別展を開催しています。国宝10件、重要文化財15件、地方指定文化財7件を含む、計60件にも及ぶ貴重な作品を展示しています。

空海という人物のぬくもりを伝える名宝をはじめ、空海への深い思慕のもと、弘法大師信仰の広まりの中で創出され継承されてきた伝記や物語絵などの作品、空海誕生前後の讃岐の仏教美術にも触れながら、香川県内に伝わる多彩な密教美術を紹介する展示となっています。

来館される方々には、香川という小さな地域から空海の壮大な事績に想いを馳せていただき、現在も地域で守り伝えられている文化財をぜひ、ご自身の目でご覧いただきたいと思います。

第1章 空海のぬくもり

――ありがとうございます。空海をテーマに、多様な密教美術を楽しめる展示となっているのですね。さて、今回の特別展は、3部構成とのことですが、第1章はどのような内容でしょうか。

第1章は「空海のぬくもり」と題して、空海本人が中国から持ち帰った名品や、空海と深い繋がりを持つ文化財をご紹介しています。

現存する最古の冊子 空海の小さなノート
三十帖冊子 

まず最初にご紹介するのは、国宝の「三十帖冊子」です。

第14帖 空海筆部分,三十帖冊子(仁和寺蔵),画像提供:仁和寺

空海は、最新の密教を学ぶため、延暦23年(西暦804年)中国の唐に渡りました。唐の首都である長安にあったお寺・青龍寺(せいりゅうじ)の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から、インド伝来の正当な密教の教えを伝授されています。

三十帖冊子は、唐に滞在中の空海が日本に持ち帰るための最新の経典などを、現地の写経生たちの手を借りて書き写した冊子です。空海にとっては、小さなノートのようなものでした。

――全部で何冊あるのでしょうか。

今、全部で30冊あり、現在は京都の仁和寺に伝わっています。

今回展示している4帖のうち、第1帖と第11帖は、おそらく写経生によるもので、第14帖と第26帖が空海自身の筆とされています。空海は達筆で知られますが、ここでは早い筆のように見えます。密教の教えを早く日本に持ち帰ろうと、現地の人々の協力を得ながら、効率よくスピード感をもって行動していたことが分かります。空海は本来20年の留学期間を、あしかけ3年という異例の速さで切り上げて日本に帰国しています。

唐の最高峰の技術・芸術を示す
恵果から譲られた白檀製の仏像 諸尊仏龕

次にご紹介するのは、同じく国宝の「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)」です。

国宝 諸尊仏龕 金剛峯寺蔵,画像提供:高野山霊宝館

空海は、恵果阿闍梨から伝統的な密教の伝播とともに、伝播に必要な法具や絵画、経典も合わせて授けられています。その中でも、恵果阿闍梨から直接譲られたもので、唐の最高峰の芸術性を示すとされるのが、諸尊仏龕です。

この作品は、白檀から彫り出された仏像です。龕とは、仏菩薩が安置される厨子のことです。香木として知られる白檀は、仏教において最も貴重な材とされます。堅い材のため、緻密な彫刻を可能とします。中国・唐時代の優れた芸術と技術の水準を示す名品です。※前期のみの展示

――諸尊仏龕は、一体どのような構造をしているのでしょうか。

ひとかたまりの材を前後に切り離し、さらに前方の板材を左右に割り、それらの内側に細密な彫刻で仏菩薩を彫り出しています。それぞれの龕を蝶番でつなぎ、三面開きの開閉可能な構造となっています。 高さ23cmほどの携帯用サイズで、枕本尊(まくらほんぞん)とも言われています。唐から日本に帰る道中、空海が実際に抱きかかえていたかもしれませんね。

流れるように美しい!空海の草書
金剛般若経開題残巻(三十八行)

次にご紹介するのは、空海直筆とされる作品の一つで、国宝の「金剛般若経開題残巻(三十八行)」です。

金剛般若経開題残巻(三十八行)(奈良国立博物館蔵),画像提供:奈良国立博物館

開題とは、経典の題目を解釈し、その概要について述べたものを指します。 唐の僧・義浄(ぎじょう)が訳した「能断金剛般若経(のうだんこんごうはんにゃきょう)」という経典を、空海が密教の立場から独自に解釈したものが「金剛般若経開題残巻(三十八行)」です。

――空海が密教の立場から独自に解釈したとのことですが、どのような解釈がされているのですか。

空海は、言葉による浅く略した解釈と、深く秘められた解釈の二つの観点から文を考えています。草書と行書を交えた書体で書かれており、所々に修正が見られることから、下書きとして書かれた可能性があります。ありのままの筆跡から、空海の生々しい息遣いが感じられます。 ※後期のみの展示

帰国後に空海が描かせたインド僧の肖像画
ダイナミックな飛白体で僧名を書く
真言七祖像の中の一つ、龍智像

次にご紹介するのは、国宝、真言七祖像のうち「龍智 (ちゅうち)像」です。

真言七祖像のうち龍智像(東寺蔵),写真提供:株式会社便利堂

空海は、経論や法具、仏画など密教を広めるために必要な品々を日本に持ち帰りました。 その中には、師である恵果阿闍梨から授かった真言密教伝来の正統性を表す、善無畏(ぜんむい)、金剛智(こんごうち)、不空(ふくう)、一行(いちぎょう)、恵果(けいか)の五人の祖師の肖像画が含まれていました。

帰国後、空海はこれら五人の祖師の肖像画に、インドの僧である龍智像とその師である龍猛(りゅうみょう)像を追加し、これを真言七祖像(しちそぞう)としました。

――龍智像には、どのような特徴があるのでしょうか。

龍智像は、中国皇帝が好んだとされる飛白体(ひはくたい)という書体で、インド名である梵号(ぼんごう)と漢字表記の漢名がダイナミックに記されています。空海が真言密教を受け継ぐにあたり、密教発祥の地であるインドを重視していたことがうかがえます。

愛くるしい仏は必見!空海と母の合作と伝えられる
一字一仏法華経序品

次にご紹介するのは、香川県の国宝である「一字一仏法華経序品(いちじいちぶつほけきょうじょほん)」です。

一字一仏法華経序品(善通寺蔵),画像提供:香川県立ミュージアム

これは法華経の一文字一文字に対応して仏の姿を描いた、装飾経の一つです。善通寺では、空海とその母が文字と絵をそれぞれに写したと伝えられていますが、書体から平安時代中頃の作品ではないかと考えられます。 仏の輪郭は墨で描かれ、白や朱、緑青(ろくしょう)で衣や蓮の花が彩色されています。仏はそれぞれ表情が異なり、おおらかで愛らしい姿を見せています。

――このように法華経の一文字一文字に対応して仏の姿を描くということは、いつ頃から始まったのでしょうか。

法華経の文字を仏に見立てる信仰は、中国・唐の時代に始まったものですが、一行ごとに経文と仏の姿を描くこのスタイルは、中国・敦煌の出土経にみられますが、日本国内では他に例がありません。 文字と絵をそれぞれ写すことで、両方の功徳を重ねるために作られたのかもしれません。※前期のみの展示

文字を学ぶための書 急就章

第1章最後のご紹介は、重要文化財に指定されている「急就章(きゅうしゅうしょう)」です。

急就章(萩原寺蔵),画像提供:香川県立ミュージアム

空海は、密教に関する品々以外にも、文学や書の芸術、医術、土木技術に関するものなど、日本にはなかった書物を集めて持ち帰ったと言われています。

その一つが、急就章(きゅうしゅうしょう)です。これは、中国・漢の元帝(げんてい)の宦官(かんがん)であった史游(しゆう)が書いたもので、初めて文字を覚えるための学習書のようなものです。急就とは、直ちに了解できるという意味があります。

空海は、嵯峨天皇へ「急就章一巻」を献上しており、これは空海自らが写したものだと伝えられています。※後期のみの展示

第2章 大師への思慕  ―語り継がれるストーリーとその姿

――第1章「空海のぬくもり」の見どころ紹介、ありがとうございました。第2章はどのような展示になっているのでしょうか。

空海は、承和(じょうわ)2年(西暦835年)に高野山で62年の生涯に幕を閉じます。空海が亡くなった86年後の、延喜21年(西暦921年)に醍醐天皇から「弘法大師」の諡号(しごう)が贈られました。 その頃から、大師は亡くなったのではなく、永遠の瞑想に入っていると考える、入定(にゅうじょう)という大師信仰が高まっていきました。 空海の功績は、真言密教の普及だけにとどまらず、日本の文化形成に大きな影響を与えました。

この第2章では「大師への思慕」と題し、弘法大師信仰の広がりの中で生まれ、語り継がれてきたストーリーや空海の様々な姿をご紹介した展示となっています。

――ありがとうございます。それでは、第2章の目玉となる作品のご紹介をお願いします。

空海を敬愛した、後宇多天皇 後宇多天皇宸翰弘法大師伝

第2章でまずご紹介するのは、国宝である「後宇多天皇宸翰弘法大師伝」です。

後宇多天皇宸翰弘法大師伝(大覚寺蔵),画像提供:大覚寺

こちらは、第91代・後宇多天皇が記した空海の伝記です。 晩年、後宇多天皇は仏教に帰依し、空海を深く敬愛していました。

――この伝記にはどのような特徴があるのでしょうか。

この作品の大きな特徴は、後宇多天皇自らがすでに成立していたいくつかの伝記を参考にして文章を編纂した点にあります。 料紙(りょうし)よりも書きにくい絹に文章を書き上げ、力強く謹厳な書風になっています。空海の書・大師流(だいしりゅう)の影響も見られ、また空海が亡くなった3月21日に作成されていることからも、空海への深い思いが感じられます。

国内最古の『日本書紀』 その裏には、空海の名文! 日本書紀 巻第十残巻(紙背 性霊集)

次にご紹介するのは国宝の「日本書紀 巻第十残巻(紙背 性霊集)」です。

※写真は日本書紀の部分,日本書紀 巻第十残巻(紙背 性霊集)(奈良国立博物館蔵),画像提供:奈良国立博物館

真言密教の伝播だけでなく、空海は文才にも長けていました。 六国史(りっこくし)の一つである、日本の国史『日本書紀』の紙背には、空海の弟子であるの真済(しんぜい)が空海の詩文を十巻に編集した『性霊集』(しょうりょうしゅう)が書き写されています。

性霊集には、振り仮名と送り仮名などが添えられており、当時の人々がどのように『性霊集』を訓読していたのかが分かる作品となっています。

幼き空海が、諸仏と語らう
稚児大師像

次にご紹介するのは、重要文化財に指定されている、幼い頃の空海を描いた「稚児大師像」です。

稚児大師像(香雪美術館蔵),画像提供:香雪美術館

空海の伝記の中には、自身の回想として、幼少期に八葉(はちよう)の蓮華(れんげ)に座り、仏たちと語り合う夢をよく見たという記述があります。

――では、この作品はその場面を描いたものということでしょうか。

そうですね。稚児大師像はその場面を絵画化したものです。蓮華は仏教において、聖なる者を生み出す最も重要な花とされています。 光の輪の中に浮かぶ、夢の中の幼き空海の様子は、空海が幼少の頃から仏に近く、聖なる力を備えていたことを示しているのでしょう。

空海作の伝承を持つ 十一面観音立像
寺外初公開!

最後にご紹介するのは、重要文化財の「十一面観音立像」です。

金井杜道撮影,十一面観音立像(井戸寺蔵),画像提供:香川県立ミュージアム

十一面観音は、観音が持つ力を具体的な形で表現した変化観音の一つです。日本では奈良時代以降、盛んに製作されました。

奈良時代に、天武天皇の勅願により井戸寺が建立されました。この十一面観音像は、空海自身の作と伝えられています。井戸寺の境内には、空海が掘り当てたとされる井戸「面影の井戸」もあり、弘法大師信仰の強い影響を受けています。この像は高さが2メートル近くもあり強い存在感をもっています。四国を代表する、平安前期の十一面観音の彫刻像です。

――十一面観音立像は、特徴的な顔立ちをしているように思います。

そうですね。口を強く結んで突き出したような顔立ちが非常に個性的で、冠繒(かんぞう)が肩から上腕へ巻き上がっているなど、装飾性が強く表現されています。 ※冠繒…冠から垂れる細い帯のこと

第3章 讃岐の密教美術

――第2章「大使への思慕」の見どころをご紹介いただき、ありがとうございました。今回の特別展、最後の第3章はどのような展示になっているのでしょうか。

第3章は「讃岐の密教美術」と題し、空海が生まれる前の仏教文化の様相がうかがえる遺品と、空海から時代を経ても香川に今のこされる密教美術の優品をご紹介しています。

四国唯一の脱活乾漆仏 空海誕生前のみほとけ 乾漆聖観音坐像

第3章で最初にご紹介するのは、重要文化財に指定された「乾漆聖観音坐像」です。

乾漆聖観音坐像(願興寺蔵),画像提供:香川県教育委員会

乾漆聖観音坐像は、奈良時代に非常に貴重とされた漆で造られています。脱活乾漆(だっかつかんしつ)という、東大寺をはじめとする官営工房を中心に用いられた仏像制作技法で造られました。

そのため、乾漆の遺品は奈良を中心とした寺院に限られており、この像は四国内において唯一の遺品となっています。

――脱活乾漆とは、どのような技法なのでしょうか。

脱活乾漆は、まず、土で仏像の原型を作ります。その上に麻布を数枚、漆で貼り重ねていきます。漆が乾燥した後、仏像の底や背中に開けた窓から内部の土を掻き出し、新たに構造の支えとなる木組みを挿入して構造体を作るのです。したがって、内部はほぼ空洞になります。 表面は、漆に木屑など植物性の素材を混ぜた木屎漆(こくそうるし)を用いて形作り、黒漆で整えた後に、彩色や金箔で仕上げます。 現在は、彩色や金箔はほとんど残っていませんが、胸の飾りなどにみる繊細な造形は漆ならではの表現と言えます。

修理後初の里帰り、四国最古級の両界曼荼羅図

次にご紹介するのは、重要文化財の「両界曼荼羅図」です。

両界曼荼羅図(極楽寺蔵),画像提供:東京国立博物館,Image: TNM Image Archives)
※写真は、両界曼荼羅図のうち胎蔵界曼荼羅図

曼荼羅は、密教の教えを絵画で表したものです。 恵果阿闍梨が空海に密教を伝授する際に、密教の教えは深すぎて言葉では語り尽くせないため、図画を用いることも必要だと述べたとされています。

とくに、大日如来を中心とする密教の世界観をあらわした両界曼荼羅図は、密教において最も重要な絵画です。 両界曼荼羅図は、やや縦長で、空海が唐から請来した図像とは異なる部分もありますが、香川県だけでなく、四国全体でも最も古い時期の両界曼荼羅図であり、非常に貴重なものです。2003年から2か年かけて文化財の保存修理が行われ、今回、地元香川県での展示は修理後初となります。

図画…仏画などの具体的な造形のこと

白檀の緻密なレリーフ 板彫阿弥陀曼荼羅

次にご紹介するのは重要文化財の「板彫阿弥陀曼荼羅」です。

板彫阿弥陀曼荼羅(開法寺蔵),画像提供:香川県立ミュージアム

先ほども説明しましたが、仏教において高貴な素材とされるのが白檀です。その緻密で堅い材質は、細密な彫刻を可能とします。

そんな白檀の緻密なレリーフが特徴的な板彫阿弥陀曼荼羅は、その造形から中国・唐時代の製作と考えられます。小さな白檀の板に、中央に阿弥陀如来(あみだにょらい)、その周りに八大菩薩(はちだいぼさつ)が配置されています。

――立体的で細かい装飾が見受けられますね。

奥行きの限られた板材を使用しながらも、中央の阿弥陀如来の周囲を深く彫り下げることで立体感を効果的に引き立てています。 背景には、小さな花がちりばめられ、神秘的な阿弥陀浄土の世界が広がっています。

慶派仏師の優れた造形技術を示す 不動明王立像・童子坐像

最後にご紹介するのは、重要文化財の「不動明王立像・童子坐像」です。

不動明王立像・童子坐像(與田寺蔵),画像提供:香川県立ミュージアム

密教の代表的な仏である大日如来の化身とされる不動明王は、通常、怒りの顔で表現されます。しかし、この不動明王からは、少年のような愛くるしい気品が感じられます。 座って手を合わせているのが、矜羯羅(こんがら)童子とみられます。

この不動明王の構造を確認すると、制作途中で顔の向きを左斜めから正面へ変更したことが分かり、もともとはもっと躍動感のある姿だったことがうかがえます。

文化財指定後の保存修理を経て、今回地元香川県で初めて公開されました。

今回ご紹介した以外にも、数多くの作品が展示されていますので、ぜひ足を運んでみてください。

――第1章から第3章までの見どころや作品の解説、ありがとうございました。空海を通して、香川という地域をより深く学べる機会でもあるように思えました。

香川県立ミュージアムでは、2023年5月21日(日)まで、「空海―史上最強、讃岐に舞い降りた不滅の巨人」を開催中です。 空海がどのような人物だったのか、空海を通じて地域の歴史を伝える貴重な文化財が多数展示されています。ぜひ実物を鑑賞しに足を運んでみてはいかがでしょうか。

香川県立ミュージアムの詳細については、以下をご覧ください。

========================================= 会期:2023年4月22日(土)~5月21日(日)
(前期:4月22日(土)~5月7日(日)、後期:5月9日(火)~5月21日(日))
会場:香川県立ミュージアム
所在地:香川県高松市玉藻町5-5
アクセス:【電車】JR高松駅から東へ900m、ことでん高松築港駅から東へ800m、ことでん片原町駅から北へ500m 【バス】ことでんバス「県民ホール前」下車徒歩2分、高松空港からリムジンバスで「JR高松駅」下車(およそ35分)東へ900m 【車】高松西ICからおよそ30分、高松中央ICからおよそ25分
開館時間:9時〜17時(入館は16時半まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は、翌日火曜日)
観覧料:【常設展・歴史展示室】一般個人410円、一般団体(20人以上)、高校生以下、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方は無料
【特別展】特別展ごと(詳細は、特別展のページをご覧ください。)
電話番号:087-822-0002
HP:https://www.pref.kagawa.lg.jp/kmuseum/
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