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トラヤヌス帝の記念柱の歴史とそこに描かれたダキア戦役の様子とは

ダキア戦役の美しい浮き彫りを見逃すな!

トラヤヌス広場の中心に立つ記念柱にはトラヤヌス帝時代のダキア戦役が美しい浮き彫りで描かれています。

トラヤヌス帝とはどんな人物だったのか?

記念柱はトラヤヌス帝時代のローマの政治、経済、宗教の中心地、通称フォーラムの中にトラヤヌス帝のお墓として建てられたものです。

第13代トラヤヌス帝は高校の世界史の授業を受けた方なら覚えているかもしれませんが、最盛期のローマ帝国を統治した5人の皇帝、五賢帝と呼ばれる一人です。

トラヤヌス帝の記念柱の歴史とそこに描かれたダキア戦役の様子とは?

バジリカ・ウルピアの中の、ギリシャ語とラテン語の図書館に挟まれる形で、記念柱が建てられたのは西暦113年のことです。

その辺りは、もともとクイリナーレの丘の一部があったところなのですが、トラヤヌス帝のフォーラムを作るため、丘を削り取りました。

ですから、その丘の高さを記録として残していくために、この記念柱が同じ高さで建てられています。

18もの巨大なカッラーラ産の大理石を用い、柱部分だけで30メートル近くあります。基壇と柱の頭を含めると40メートル近くになります。

柱の表面の200メートルにも及ぶらせん状の浮き彫りは、2度に渡るダキア征服の偉業を順番に表しています。

トラヤヌス帝はダキア、いまのルーマニアを征服し、ローマ帝国の最大版図を成し遂げた皇帝です。

この浮彫には114のシーンに分けて、所狭しと兵士や捕虜の姿が2500体ほども彫られています。

当時は、そのすべてに色が塗られ、とてもカラフルであったようです。

基壇の内部には、トラヤヌス帝の遺灰を治める黄金の納骨壷が置かれていました。

そこから柱の内部に螺旋階段が引かれ、柱頭まで登ることができました。

頂上に元はトラヤヌス亭のブロンズ像が飾られていたようですが、16世紀のシスト5世の時代にサン・ピエトロ像に代えられました。

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トラヤヌス帝の記念柱の歴史とそこに描かれたダキア戦役の様子とは | https://jp.pokke.in/story/6611

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