時代ごとに役割が変わってきたサンタンジェロ城の歴史と見どころ
時代ごとに役割が変わってきた聖天使城
サンタンジェロ城はハドリアヌス帝をはじめとする歴代皇帝の霊廟で、現在内部は博物館となっています。
聖天使城と訳されるこのお城は、もともとローマ帝国14代目の皇帝ハドリアヌスにより築かれた霊廟だったものです。
自分自身とそれ以降の後継者達のための霊廟ということで、建築家デメトリアーノが起用され、次の皇帝アントニーノ・ピオの時代に完成しました。
この建築家により、前方テヴェレ川にかかるエリオ橋も建設されました。エリオ橋は現在サンタンジェロ橋と呼ばれ、1600年代後半にベルニーニの弟子たちにより十の天使像が加わった姿で人々の往来に使われています。
ローマ帝国が衰退してくる中、西ゴート族やヴァンダル族がローマ中を荒らし回った時代、この霊廟がカスッテッルム、すなわち砦としてローマ市民を守ってきました。
この霊廟が大きく変化するのは西暦590年のことです。
ローマの町は荒れ果て、ペストが蔓延していました。
当時新たに選出されたグレゴリウス大教皇は、大勢の聖職者を引き連れ、悔悛の宗教行列を組み、一心に神の赦しを懇願しながらテヴェレ川のそばを通りかかりました。
ちょうどその時、どこからともなく大天使ミカエルがハドリアヌスの霊廟の上に降り立ち、燃える剣を鞘に戻すのが目撃されたと言います。
これがペストの終りを告げるジェスチャーだと考えられ、それ以降霊廟の頂上に聖天使礼拝堂が築かれました。
9世紀、レオ4世の時代になると完全に霊廟としての機能は失われ、バチカンを囲む城壁の中に組み込まれ、れっきとした城塞となります。
様々なローマ貴族の所有を経て、14世紀からは教皇が一時的な住居としたり、主に教皇庁の文書館や国庫として用いられるなどしてきました。
14世紀から16世紀にかけニッコロ5世やユリウス2世、それにパウルス2世などが増築させ、ペリン・デル・ヴァーガなどにより装飾された部分が今も残っています。
1527年には、ローマの略奪という事件が起きます。
歩兵の傭兵団ランツィクネヒトが攻め入ってきた際、当時のクレメンテ7世は上階に造らせたストゥッファと呼ばれる小さな温室を取り囲む部屋に3000人の味方と共に7ヶ月間立てこもったという記録があります。
1800年代にはもっぱら政治犯の捉えられる牢獄として使用されていました。
現在、城の内部はサンタンジェロ城国立博物館になっていて、兵器や武具などが展示されています。
サンタンジェロ城の正面にはハドリアヌス帝の時代に掛けられた「サンタンジェロ橋」があります。
この橋に置かれた10体の天使像は、教皇クレメンス9世が、サンタンジェロ城に続く参道として神の世界へ導くように巡礼者を迎い入れようと、バロック芸術を代表する芸術家であり彼の旧友でもあったジャン・ロレンツォ・ベルニーニに頼んだものです。
そのうち2体「とげの花冠を持つ天使」と「カルティーリョを持つ天使」がベルニーニの作で、残りの8体は弟子に彫らせたものです。ですが、現在ここにある作品は本物ではありません。
ベルニーニの2体の彫刻は、あまりの完成度に法王が感動し、雨風にさらしてはもったいないとして、サンタンドレア・デッレ・フラッテ教会に移したのです。
現在置かれているのはレプリカで、本物はサンタンドレア・デッレ・フラッテ教会で見ることができます。
施設情報
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