競馬好きは絶対に訪れるべき!古代ローマ最大の競馬場チルコ・マッシモ
古代ローマの時代の競技場
チルコ・マッシモは、古代ローマの時代にチャリオットによるレースが行われた大規模な競技場です。
古代ローマ帝国を統治していた人々は、市民のために数多くの娯楽施設を提供してきました。大浴場、劇場、闘技場、そして競馬場です。
競馬場は、広いスペースを確保する必要があり、競走馬の育成や馬屋のメンテナンスなど費用がかかったため、それほど多くは建てられておりませんが、ローマで有名な競技場としてはカリグラ帝、ドミツィアヌス帝、マクセンツィウス帝の競馬場などがあります。特にその中で最も規模が大きかったのが、「チルコ・マッシモ」です。
今では、ただただ大きな空き地と化してしまっていますが、かつては2頭立てや4頭立ての騎馬レースの開催された場所です。
名前の由来は、ぐるぐると馬が回るコースなので「チルコ」すなわち「サークル」、それが最大の規模であった為「マッシモ」すなわち「マキシマム」という形容詞がつき、「最大の競馬場」というのが「チルコ・マッシモ」の日本語訳となります。
全長600メートル、幅200メートルという規模で、コースを囲むように観客席が設置されており、最大30万人が収容できたということです。
サン・グレゴリオ通り沿いにはわずかに観客席の一部が遺跡として残されています。
その位置に立ってチルコ・マッシモの奥の方まで視線を移していただくと、遥か彼方にサンピエトロ大聖堂のドームが見えます。
伝説によると、ローマの初代の王ロムルスの時代には、すでにこの土地でレースなどの見世物が催されていたということです。
ローマの北にあったサビーナ地方の獲得を目的に、その地方の女性たちをレース観戦に招待し、力ずくで略奪したとされる「サビーナ女の略奪」という事件が起こるのがこの場所で、紀元前8世紀ごろのことのようです。
本格的に競馬場の施設が建設されるのが5代目のローマ王タルクイーニオ・プリスコの時代だそうで、その後ローマ共和制、帝政期を経て、様々な権力者や皇帝が修復を繰り返し、西ローマ帝国崩壊後の549年まで東ゴート王によってレースが催されたという記録があります。
施設情報
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