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カテドラルに眠る少女エウラリアの物語

少女が眠る教会

バルセロナの教会といえば、サグラダ・ファミリアを連想する方が多いと思いますが、バルセロナ市民にとって昔からのシンボルといえば、こちらのカテドラル。

地元の人々からは「ラ・セウ」と親しみを込めて呼ばれるカテドラルの正式な名前は「サンタ・クレウ・イ・サンタ・エウラリア大聖堂」。

聖なる十字架と聖エウラリアに捧げられた教会です。

13世紀の末から20世紀初頭まで600年以上もの年月をかけて建てられた由緒ある大聖堂です。

その厳格で荘厳な雰囲気を持ちあわせた美しい大聖堂に祀られているのは、バルセロナの守護聖人サンタ・エウラリア。

展望台へ上れば、サンタ・エウラリアの像が手に届くところに見えます。

訪れる者を圧倒するカテドラル内部と絶景が広がる展望台。感動すること間違いなしです。

地下霊廟に眠る少女エウラリア

バルセロナの守護聖人「サンタ・エウラリア」。

「サンタ・エウラリア」とは、直訳すれば、「聖エウラリア」で聖人エウラリアの意味です。

ゴシック地区のシンボル、カテドラルを訪れるならばこの人物について知っておいて損はないでしょう。

西暦290年、少女エウラリアはここバルセロナで生まれました。

当時バルセロナを支配していたのはローマ帝国のディオクレティアヌス帝。

バルセロナはローマ帝国の属州の一つでした。

今ではヨーロッパ諸国はどこもキリスト教国のイメージがありますが、この頃はまだ有力な新興宗教の一つ。

大国ローマは台頭するキリスト教徒たちに脅威を覚え、厳しい弾圧を加えていました。

エウラリアはキリスト教の信仰を捨てるのを拒み続けたために、ローマ人によって13の拷問を受けます。

それはどのような拷問だったかといえば・・・

例えば、ガラスの破片をたくさん詰めた靴を履かされ、通りを何往復もさせられたり、

内側に鋭いナイフを突き刺さした樽の中に押し込まれ、樽ごと通りを転がされたりしました。

または、X字の十字架に磔にされたり・・・と。

このような拷問は、ほんの一部に過ぎず、更に残酷な仕打ちをうけたエウラリアは、最後には首を切られて殉死してしまいます。

わずか13歳でした。

以後、サンタ・エウラリアの像には、X字の十字架が添えられるようになりました。

そして、迫害し続けたローマ人に屈することなく、最後までキリスト教の信仰を守り通したエウラリアの遺体はカテドラルへ埋葬され、以後バルセロナの守護聖人として人々を見守っています。

エウラリアの遺体が収められた棺はカテドラルの地下霊廟で目にすることができます。

大理石製の棺はゴシックに一部ロマネスクが混ざった様式で、イタリア・ピサの彫刻職人の手により1339年に完成しています。

毎年2月14日の「サンタ・エウラリア」の日には、霊廟の門が開放されて中に入ることができるので、多くの人々がお祈りに訪れます。

13羽のガチョウが遊ぶ中庭回廊

カテドラルには多くの見どころがあります。

天高くそびえるゴシック様式の尖塔や約500年間に渡って大聖堂のメインゲートだったサン・イウの門。

カテドラル内部に足を踏み入れると、長さ93m幅40m高さ28mもある壮大な空間に圧倒されます。

中央の聖歌隊席の見事な彫刻は必見です。

しかし、ここでは他の大聖堂ではなかなか見られない不思議な光景についてご紹介しましょう。

カテドラル内部から木製の扉を抜けて中庭回廊へと足をすすめると、ヤシの木やオレンジの木が植えられた中庭へと出ます。

中央にはドラゴンを退治しているカタルーニャの守護聖人ジョルディの像の噴水。

そしてそのそばにはなぜか13羽の白いガチョウがいます。

どうしてガチョウを飼っているのでしょうか。

それはかつてエウラリアがガチョウの世話をしていたため、と言われています。

また、カテドラルの建設中に泥棒が忍び込もうとしたときに、飼っていたガチョウが騒いで盗難を未然に防ぐことができたため、その後も飼い続けることに決定したとも。

13羽という数は彼女が13歳で殉教したこと、彼女が受けた13の拷問にちなんでいると言われています。

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