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その旅に、物語を。

ガルニエ宮

19世紀パリ。

ベルエポック、日本語で「美しい時」と呼ばれるこの時代を代表する建物がこのガルニエ宮、パリ・オペラ座です。

オペラ座の建設が開始されたのは1860年。

ナポレオンの甥にあたるナポレオン3世はパリの街の近代化を進めます。

当時のパリはまだ中世時代のままで、いたるところが細い道で複雑に入り組んでいました。

19世紀のパリは政治的に不安定で市民が権利を主張して立ち上がることがなんどもあり、そのたびにこれらの細い道をブロックして政府軍の侵入を防ぎました。

経済の発展と政治の安定を図るため、オスマンを抜擢しパリの街の大改造を行ったのです。

「壊し屋」とも呼ばれたオスマンは、入り組んだ路地を壊し、凱旋門を中心に放射線状に大きな通りを作っていきました。

これによって馬車での行き来がスムーズになり、有事の時には軍隊が動きやすくなったのです。

それだけではありません。

街には上下水道が通り、ガス灯が灯り、学校が建設され、市民にも住みやすい街へと改造されていったのです。

その一環として生まれたのがこのガルニエ宮です。

1860年にバレエと音楽のアカデミーの新しい建物を建築するためのコンペが開催されました。

171人もの建築家が応募する中で、選ばれたのは当時無名に近かった35歳のシャルル・ガルニエでした。

王立アカデミーが最初に創設されたのは1661年。

太陽王と呼ばれたルイ14世によるものです。

19世紀に入りどんどんオペラの人気は高くなり、パリはヨーロッパの中でもオペラの中心地となっていきました。

しかし、人気が高まるにつれ問題になったのは収容です。

若く無名でありながらもガルニエが選ばれたのは、大観衆を収容できる設計案を提示したからでした。

建築は1861年に始まり1875年に完成します。

その時にはすでにナポレオン3世はこの世を去っていました。

しかし、この豪勢な建物は皇帝という権力の後押しがあったからこそできたものです。

オスマンによる近代化されたパリの中心となったガルニエ宮。

それを象徴するかのように、オペラ座通りから何も遮るものなくガルニエ宮を眺めることができるのです。

ガルニエ宮のストーリー

エリア フランス > パリ
施設名 ガルニエ宮
住所 Galerie Opéra Paris, 8 Rue Scribe, 75009
営業時間 10:00-17:00
7月中旬-9月中旬は18:00まで
Webページ https://www.operadeparis.fr/en
アクセス メトロ3号、7号、8号線 Opéra駅
RER-A線 Auber駅
料金 10ユーロ

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