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パリの芸術エリア・愛の南京錠で有名なポン・デ・ザール芸術橋とは?

左右のアートエリアをつなぐ芸術の橋

パリの芸術カルティエの中心にあり、愛の南京錠でも知られたポン・デ・ザールは360度どこを見回しても絵になる橋です。

左右のアートエリアをつなぐ芸術の橋

ポン・デ・ザールはもともと空中庭園をイメージしてデザインされた歩道橋です。

橋が完成した1804年はちょうどナポレオン1世が皇帝に即位した年。

ポン・デ・ザールはナポレオン・ボナパルトの肝いりで作られました。

設計を担当したのは橋や道路の建設において当時のトップ技術者であったルイ・アレクサンドル・セザールです。

彼は右岸にあるルーヴル美術館と左岸にあるフランス学士院の間をつなぐ橋の上にベンチや低木、花壇を設けて空中庭園を実現しました。

しかし、パリで最初の鉄製の橋はそう長く持ちませんでした。

最初の1世紀を過ぎた後にやってきた大きな2つの戦争による爆撃で橋は大きな損傷を受けたのです。

さらに戦後は川の事故が相次ぎ、ついに閉鎖されることになりましたが、1984年には新たなポン・デ・ザールが開通しています。

ポン・デ・ザールの名前の由来が、橋の正面にあるルーヴル美術館にあることはよく知られています。

橋が建設された1804年、ナポレオンの治める第一帝政時代にまだ官公庁の建物としても使用されていたルーヴル宮殿は別名「芸術の宮殿」と呼ばれていました。

それに合わせて、「芸術の宮殿」へ繋がる橋、すなわち「芸術の橋」ポン・デ・ザールと呼ばれるようになったのです。

それから現在に至るまでポン・デ・ザールの周辺は芸術のカルティエといっても過言ではないロケーションにあります。

ルーヴル美術館の反対側、橋の左岸にはアカデミー・フランセーゼの名前で知られるフランス学士院があり、その一角には数多くの芸術家や建築家を輩出し続ける国立の美術学校「エコール・デ・ボザール」があります。

左岸で芸術を学んだ若きアーティストがキャリアを積み重ね、その作品が右岸のルーヴル美術館に納められているというケースは少なくありません。

また、橋の近くには古書を中心に風景画や肖像画などを売る、世界遺産の露店古本屋「ブキニスト」が並び、通りすがりにも芸術気分を盛り上げてくれます。

ここからアカデミー・フランセーゼの右手から脇道へ入れば、小さなギャラリーが軒を連ねるセーヌ通りが待っています。

さらに通りを進んで行くと、大小のギャラリーがひしめくギャラリー街、サン・ジェルマン・デ・プレです。

ポン・デ・ザールはまさに左岸と右岸のアートエリアをつなぐまさに芸術の橋なのです。

愛の重み

もともと金網で出来ていたポン・デ・ザールの欄干ですが、近年「愛の重み」に耐え切れず橋の一部が倒壊したため、ガラスパネルのフェンスへと姿を変えました。

「愛の重み」とは「カデナ・ダムール」と呼ばれる南京錠のこと。

恋人たちがお互いの名前を書いただけの普通の南京錠ですが、これを橋のフェンスに取り付けて鍵を川へ流すことで2人の永遠の愛が約束される…というロマンチックな噂がいつからか囁かれ始めました。

実際には1980年代に東ヨーロッパで始まり、2000年代に西ヨーロッパへ伝わってきたもので、伝統があるようでない新しい伝説です。

パリのポン・デ・ザールでは2008年頃からその噂と、橋の上で南京錠を売る商売人が現れ出し、瞬く間にフェンスは南京錠だらけになります。

南京錠にさらに南京錠が取り付けられ、その厚みは日々増していくばかりでしたが、ついにフェンスの一部が倒壊。

それを重大に受け止めたパリ市は2015年6月に全ての南京錠が取り付けられたフェンスごと撤去します。

金網から鍵の掛けようもないガラスパネルに姿を変えたポン・デ・ザールは、愛の南京錠による劣化の危険をすんでのところで回避しました。

そして恋人たちの橋はすでに別の新たな2つの橋へ移り変わっています。

ひとつはオルセー美術館とテュイルリー庭園を結ぶレオポール・セダール・サンゴール歩道橋。

もうひとつがノートルダム大聖堂の裏手に架かるアルシュヴェシェ橋で、どちらも南京錠をかけるのにちょうど良い欄干を持っています。

2つの橋がポン・デ・ザールのように愛の重みで壊れてしまわないよう、橋を含めて世界遺産となっているセーヌ川の美しい風景が守られることを祈るばかりです。

ポン・デ・ザールに取り付けられた愛の南京錠は、最終的に70万以上を数え、その重さはおよそ45トンに達していました。

単純に計算すると、平均的な体重の大人が760人以上もフェンスにぶら下っていたことになります。

それはフェンスも倒れるわけですね!

全面撤去された南京錠のうち、10トン分は回収されてパリ市によって保存され難民救助などの支援金に利用されると発表されています。

パリ市によると、ポン・デ・ザールの愛の南京錠はオークション販売される予定で、その収益はなんと10万ユーロを見込んでいるそうです。

南京錠でフェンスが膨れ上がったポン・デ・ザールは画家にとっても写真家にとっても魅力的な題材、被写体であり5、6年という短い期間ながら多くの作品が残されています。

また、南京錠の掛かったフェンスは全面撤去される前からも部分的に外されて川へ投げ捨てられたりしていました。

そういった、セーヌに沈んだ愛の南京錠を集めて作品を作り上げるアーティストもいます。

ポン・デ・ザールの景観を汚している、という批判もあった愛の南京錠ですが、それが巡り巡って新たなアート作品に生まれ変わる様子はまさしく芸術の都の芸術の橋と言えるでしょう。

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