パリのモンマルトルの丘に建つ白く巨大なサクレ・クール寺院の物語
標高130mとパリで最も高い位置に建てられたサクレ・クール寺院。建てられたのは、19世紀で、割と最近です。どういう歴史の流れの中で、建てられることになったのか。どういう役割として、在り続けているのか。そんなサクレ・クール寺院の物語と一緒に観光することで、濃密な時間を過ごすことができます。
セーヌ川が赤く染まった3万人以上の犠牲者の出た「血の一週間」
1870年に起きたプロイセン(ドイツ)・フランス戦争。
この戦争にフランスは負けてしまいます。その翌年に、不満を募らせたパリ市民によって「パリ・コミューン」という自治政府が誕生します。この自治政府を鎮圧するために、フランス政府軍が出動する事態となり、そこで3万人以上の犠牲者が出たといわれています。
多くのパリ市民がなくなってしまったこの戦いは、「血の一週間」と呼ばれ、セーヌ川が赤く染まったといわれています。
毎日24時間、130年間途切れることのない祈り
この犠牲者を弔うことを目的に、サクレ・クール寺院は建てられました。
なぜ、このモンマルトルの丘だったのか?
それは、パリ・コミューンに参加した多くの人が最期を迎えた場所であり、古くから「殉教者の丘」としてに知られていたからだそうです。歴史的にも、宗教的にも、特別な場所でした。
観光地ではありますが、そんな歴史や物語を知りながら中に入ると、また違った気持ちになるのではないでしょうか。
詳しくは、サクレ・クール寺院のガイドを聴こう
サクレ・クール寺院には、様々な彫刻などが施されており、そのどれにも意味があります。また、見晴らしの良い立地なので、絶好の(フォトジェニックな)写真スポットもいくつもあります。
たくさんの見どころがあるサクレ・クール寺院。ぜひ、現地でガイドを聴きながら、その物語を堪能してみてはいかがでしょうか。