世界最大級のステンドグラスを誇るサントシャペルの見どころを紹介!
サント・シャペルがあるのは、パリ始まりの地と言われるシテ島。シテ島には、ノートルダム大聖堂やパリ市庁舎などがあり、パリ観光のメッカとして知られた場所にあります。それだけに、残念ながら集団スリや詐欺など旅行者を狙った犯罪も多く、財布やスマートフォンなどの貴重品の扱いや1人行動には注意が必要です。
なぜ、サントシャペルは作られたの?
礼拝堂は信仰に熱心だったルイ9世がキリスト教の聖遺物を納めるために作ったものです。1248年に完成した建物には、当時の技術の粋(すい)を凝らしたステンドグラスが現在まで残されています。高さ15mのステンドグラスはパリで最も古く、世界最大級とも言われています。
礼拝堂内部の壁は、北・東・南の三方向そのほとんどすべてがステンドグラスです。太陽の光を受け絶妙な色に染めて聖堂を照らす光景を眺めていると、まさに宝石箱という形容がぴったりに思えてきます。
サントシャペルを作ったルイ9世はどんな人だった?
キリスト教の聖人に列せられ、聖なる王と呼ばれたルイ9世は高潔な人柄と公正な判断、優れた知性の持ち主として知られています。その評価はフランス国内にとどまりません。国家間の紛争調停にも力を尽くしたことから「ヨーロッパの調停者」と呼ばれることもあります。
その一方でルイ9世は芸術にも深い造詣がありました。建築物や芸術品を広く保護し、何よりもキリスト教の聖遺物を集めるのに全精力を傾けていたといっても過言ではありません。彼の最大のコレクションはキリストの茨の冠ですが、その他にもキリストが磔(はりつけ)られた聖十字架のかけらや墓石などの聖遺物も収集され、サント・シャペルに納められたといいます。
フランス革命時に、なぜステンドグラスは破壊されなかったの?
現存するステンドグラスの7割が13世紀当時のものだと言いますが、装飾や美術品が破壊・略奪に遭ったフランス革命の時代を無事に乗り切れたのはなぜでしょうか。
実は、当時の礼拝堂は礼拝堂以外のさまざまな用途に使われていました。クラブサロン、穀物の貯蔵庫、そして行政の書庫。美しい細工を凝らした聖遺物箱をはじめとした礼拝堂内の装飾がほとんど奪われたのにも関わらず、ステンドグラスの窓は棚や荷物で隠されていたために破壊を免れたのです。
ステンドグラスにはどんな物語が描かれている?
世界最大級のステンドグラスは創世記から始まり、パリに聖遺物が到着する場面で終わる物語絵巻が描かれています。
国家予算の半分を使い手に入れた『茨の冠』とは?
ルイ9世がキリストの聖遺物「茨の冠」を手に入れるために費やした時間はおよそ2年間。粘り強い交渉の末に、フランスの国家予算の半分を使ってようやく譲り受けます。今では想像もつきませんが、キリスト教が強力な権力を持っていたこの時代、聖遺物である「茨の冠」を手にすることは、フランス王国がキリスト教の新たな聖地となることを意味しました。聖遺物には支払った金額以上の価値があったのです。
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この「サントシャペル」は、トラベルガイドアプリ「Pokke」で聴くことができます。音と声での新しいガイド体験を味わえます。アプリのダウンロードは、↓から行うことができます。