アプリ案内

その旅に、物語を。

潜伏キリシタンと長崎の歴史を巡る旅

4. 潜伏キリシタンのユニークな世界 オラショやマリア観音を知ろう


潜伏キリシタンとは何か?世界文化遺産に登録された長崎の歴史を学ぶガイダンス」では、長崎県の「潜伏キリシタン」について6つのパートに分けてご紹介します。記事を通して、潜伏キリシタンがどのような存在なのか、その劇的な歴史背景、ユニークな信仰の特徴など、潜伏キリシタンの魅力がわかります。

目次を見る >

4つ目のパートでは「潜伏キリシタンのユニークな世界」について。

この記事では、潜伏キリシタンがどのように共同生活を送り、どのように文化を築いてきたのかご紹介します。

この記事を読むことで、潜伏キリシタン内部の詳細や、マリア観音オラショといったユニークな文化を学んでいきましょう。

1. 潜伏キリシタンの文化を継承するかくれキリシタン

歴史的に見ると、前途多難な潜伏キリシタンですが、共同体を深く掘り下げていくと、さらにいろいろなことがありました。

明治期に潜伏キリシタンからかくれキリシタンが誕生しますが、それは内部分裂や寺請制度など、共同体で信仰をしていたことが深く関係しています。

かくれキリシタンが潜伏キリシタン時代の信仰と文化を継承していったことで、潜伏キリシタンが世界で類をみないユニークな信仰と文化を持っていたことがわかるでしょう。

まずは、共同体で何が起こり、かくれキリシタンが生まれたのかご紹介します。

2. 潜伏キリシタンから分裂したかくれキリシタン



歴史編でもご紹介しましたが、潜伏キリシタンとは別に「かくれキリシタン」と呼ばれる人々も存在します。

かくれキリシタンは地元では「ふる」や「かくれ」とも呼ばれ、キリスト教の禁教が解かれても、カトリックに復帰せず、潜伏キリシタンの身を潜める信仰を貫いている人々を指す言葉です。

かくれキリシタンが、カモフラージュだったはずの潜伏キリシタンの信仰を続ける理由はいくつかあります。

250年もの間信仰をしていたためカトリックに復帰するのに抵抗がある、先祖代々の信仰の仕方を変えたくない、などなど。

ですが、歴史的に見ると、はっきりとした理由で潜伏キリシタンとかくれキリシタンに分かれたようです。

かくれキリシタンが生まれた経緯は村八分

明治憲法の発布後、信教の自由を理由に、カモフラージュだった仏教をやめて寺から離れる潜伏キリシタンがいました。

ところが、寺の檀家をやめると村八分にされてしまったので、潜伏キリシタンは村から離れることに。

村から離れた潜伏キリシタンはカトリックに復帰せず、かくれキリシタンとなり、自分たちだけで信仰を続けました。

教会に復帰することも村八分にされてしまう場合があったため、そのまま仏教を隠れ蓑にし、かくれキリシタンになった人々も。

このように、かくれキリシタンは村八分にされたことが原因で、潜伏キリシタンから分かれています。

かくれキリシタンの村八分の一例

外海地域の出津ではこうした騒動がありました。
1867年、信徒発見が起こった後のことです。

大浦天主堂の司祭、プチジャンが内密にやってきました。
司祭が現れたことで、浮足だった潜伏キリシタンたちは、堂々と宗教活動を始めたのです。

同じくキリシタンだった庄屋が摘発を恐れ、住民を少し落ち着かせるために地区に伝わる聖具を隠しました。
聖具が無くなったことが大きな騒ぎとなり、庄屋は住民と揉めてしまいます。

すぐに聖具は返されたものの、庄屋の関係者は、禁教の高札が降ろされた後も教会へカトリックの復帰すらできなくなってしまいました。

こうした内部分裂による村八分でもかくれキリシタンがいます。

カトリックに復帰せず、潜伏キリシタン時代の信仰を受け継いだかくれキリシタン

潜伏キリシタンの中から、カトリックに復帰せず、かくれキリシタンとなった人々の中には「信徒発見」のあとの内部分裂や寺との関係のために、かくれキリシタンとならざるを得なかった人々もいました。

潜伏キリシタンは共同体を形成して信仰を貫いたため、なにか違うことをすると村八分の危険にさらされやすい環境だったようです。

このように、カトリックに復帰せず、潜伏キリシタン時代の信仰を受け継いだかくれキリシタンは独特な信仰と文化を今も守っています。

次に、かくれキリシタンが受け継いだ信仰と文化はどのようなものなのかご紹介しましょう。

3. 潜伏キリシタンのユニークな信仰と文化



潜伏キリシタンは司祭がいない中で、仏像を聖母マリアに見立てて祈ったり、司祭が残した暦を使用して信仰を続けていきました。

また、オラショと呼ばれる祈りの言葉が口伝で受け継がれています。
音階がついているため、曲に昇華されたものもあります。

潜伏キリシタンの信仰によって生まれた文化はとてもユニークで面白いです。

祈りを捧げたマリア観音

マリア観音とは、潜伏キリシタンが聖母マリアに見立てて信仰した観音菩薩像のことです。

潜伏キリシタンは取り締まりから逃れるため、仏教徒にカモフラージュしてキリスト教を信仰していたため、表向きは観音像に拝みながらも「ハンタマルヤ」と聖母マリア像に見立て、心の拠り所にします。

元々観音像は女性ではありませんでしたが、中国を経由して「慈母観音」という稚児を抱いた像になりました。

この稚児を抱いた姿が聖母マリアと共通するため、祈りを捧げる対象になりました。

多くは中国製の青磁や白磁で作られており、胸や台座の部分に十字架が彫刻されたり、国内で窯焼きされたものもありました。

キリシタンの生活を支えたバスチャン暦

バスチャン暦とは、1634年の教会暦を元にした日繰りです。

キリスト教では教会暦を使用し、一年を決まったサイクルで過ごします。

教会暦はグレゴリオ暦という現在使われている暦で作成されていたため、バスチャンという日本人伝道師が当時の日本の陰暦に繰り直しました。

これが潜伏キリシタンに伝わるバスチャン暦です。

バスチャン暦があるおかげで、潜伏キリシタンは司祭がいなくても復活祭や祝日などがわかり、規則的に信仰をすることができました。

カトリックと大きく異なるのは「悪か日」があることです。

・種をまいてはいけない日
・肥料をまいてはいけない日
・肉類を食べてはいけない日

など、いくつも戒律があります。
農作業がなかなかできないため、仏教に改宗する者もいたとのこと。

各地に伝わるオラショ



オラショとは、潜伏キリシタンが唱える祈りの言葉で、最もよく知られた潜伏キリシタンの文化の一つです。

口伝で伝承されており、潜伏キリシタンは耳で聞いて覚え、後世に伝えていきました。

オラショは内容の意味を理解するというよりも、唱えて伝えていくことに重きが置かれていました。

そのため、ひたすら野菜の名前を唱えるといったオラショもあるといいます。

それぞれの地域のオラショは、どのような特徴を持っているのでしょうか。

地域の違いが非常に大きいオラショ


❶黒崎…元のラテン語に近い発音。
黒崎は司祭がカトリックに復帰させようと熱心にしていた場所で、オラショの実際のラテン語の発音を印刷して配っていました。

❷五島列島・樫山…潜伏期の古い言い回し。

❸根獅子…音にするよりもボソボソとつぶやくように口にする。間に世間話を挿入。
潜伏中、役人の目を欺くために編み出した技が、そのまま祈りの形として継承されています。

❹生月島…「ぐるりよーざ」という唄オラショ
「ぐるりよーざ」はグレゴリオ聖歌と同じであることが解明されています。

このように、オラショは地域によって伝わっている内容に非常に大きな違いがあるのです。

曲のモチーフになったオラショ

オラショは音階のついた唄オラショなど、聖歌が元になっているものも多いです。
そのため、音楽家が注目し、楽曲のモチーフになることもしばしばありました。
代表的な楽曲を2曲ご紹介します。

❶伊藤康英『吹奏楽のための交響詩『ぐるりよざ』』|1990年
・吹奏楽曲、管弦楽曲
・生月島のオラショ「ぐるりよーざ」を元に作られた楽曲です。
・全3楽章の構成です。
・第1楽章のタイトルは「祈り(Orasio)」で、キリストの受難の数値とされる13回、聖歌を元にした変奏が行われます。
・第2楽章「唄(Cantus)」はオラショの「さんじゅあん様の唄」を元にし、龍笛が使用された章。
・第3楽章「祭り(Dies Festus)」は津島蒙古太鼓と「長崎ぶらぶら節」を元に、クライマックスはフーガにすることで壮大に終わらせます。

❷千原英喜『混声合唱のためのおらしょ〜カクレキリシタン3つの歌〜』|1997年
・混声合唱曲
・のちに男声合唱曲、女声合唱曲に編成
・日本の伝統曲と西洋音楽を織り交ぜた、千原英喜氏の代表作です。
・全3楽章の構成となります。
・第1楽章は「五島ハイヤ節」とグレゴリオ聖歌を下敷きに、かくれキリシタンの歌声がどこからか聞こえてくる情景が描かれます。
・第2楽章ではオラショと賛美歌を中心に、キリシタンの天主堂で宣教師が歌う様子が目に浮かぶよう。
・第3楽章は平戸島の「獅子の泣き歌」とラウダと呼ばれる民衆的な宗教歌が組み合わされ、島の岸壁から亡くなった人々を偲ぶ様子が表現されています。

潜伏キリシタンの信仰と文化はとてもユニーク

潜伏キリシタンは司祭がいない中でも、信仰を守り継承していきました。

マリア観音は、聖母マリアに見立てて祈りの対象になった観音菩薩像です。

観音菩薩像は、聖母マリアに似た稚児を抱く姿のため、信仰の対象となりました。

バスチャン暦は日本の日繰りに置き換えられた教会暦です。

カトリックの教会暦と違い、悪か日が設けられ、共同体の中でとても厳格に守られていました。

オラショはよく知られた潜伏キリシタンの文化で、祈りの言葉です。

地域ごとに差があり、唄にもなっていることから、楽曲のモチーフとなりました。

このように、潜伏キリシタンの信仰と文化は、世界的に見てもとてもユニークな特徴を持っています。

4. 潜伏キリシタンは文化と信仰のユニークさで人々を魅了している

潜伏キリシタンからかくれキリシタンが誕生した経緯とは、先祖からの信仰を途絶えさせたくないという心情的な理由の他に、

・内部分裂
・カモフラージュのために入った寺請制度

のために、村八分にされてしまう出来事がありました。

共同体で信仰を守っていたため、何か違うことが起きると仲間はずれにされやすかったようです。

かくれキリシタンはカトリックに復帰しなかったため、潜伏キリシタンの信仰と文化を継承していきました。

聖母マリアに見立てたマリア観音に祈りを捧げ、バスチャン暦で信仰生活を送り、オラショを唱えました。

マリア観音とオラショは、役人の目のカモフラージュのために行っていた対策がそのまま祈りの対象として残っています。

バスチャン暦も潜伏キリシタン独特の悪か日が残り、世界で他に例を見ないものになっています。

オラショは音楽家に注目され、楽曲のモチーフとして吹奏楽曲や合唱曲になりました。

潜伏キリシタンの信仰は潜伏期の司祭がいない間に、独特な信仰と文化を形成していき、そのユニークさで人々を魅了しているのです。

このストーリーを
シェアしよう

4. 潜伏キリシタンのユニークな世界 オラショやマリア観音を知ろう | https://jp.pokke.in/story/14650

Pokke公式SNSアカウントを
フォローして、
世界の旅先の物語に触れよう

共有

https://jp.pokke.in/story/14650

リンクをクリップボードにコピーしました。