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バルセロナの歴史が凝縮された王の広場の見どころ紹介

ゴシック地区の歴史の集積点

中世の街並みの風情が感じられるバルセロナ・ゴシック地区。

バルセロナ中心部とは全く異なる、中世の細い路地を歩いていると、ひときわ静謐な空間にたどり着きます。

カテドラルの裏手に位置するこの静かな広場はローマ時代から現代まで、バルセロナの時間が凝縮された歴史の息吹を感じられる場所。

広場の三方を中世の重要な建物、王宮、礼拝堂、副王の館に囲まれています。

ローマ時代の城壁や近現代のスペインを代表する彫刻家エドゥアルド・チリダの作品も見られ、まさにバルセロナの歴史の縮図のような広場なのです。

王の広場はバルセロナの歴史の凝縮

スペイン語では「バリオ・ゴティコ」、カタルーニャ語では「バリ・ゴティック」と呼ばれるゴシック地区。

このあたりは13世紀から15世紀の建物が立ち並ぶバルセロナらしい街並み。

王の広場はそのゴシック地区の中心部に位置しており、カテドラルから出発すると簡単にみつけることができます。

長方形のこのこじんまりとした空間が、スペイン語、カタルーニャ語ともにプラサ・デル・レイと呼ばれる王の広場です。

このあたりはバルセロナのゴシック地区の中でも、特に古い地域。

歴史を感じさせる黒ずんだ建物の壁に囲まれていると中世の息吹を感じることでしょう。

右手の建物はサンタ・アガタ礼拝堂、正面がレアル・マジョール宮殿、そして左手がヨクティネント宮殿です。

これらは全て中世のバルセロナの歴史を語る上で欠かせない重要な建物ばかり。

この広場は当初は王宮の中庭として使われました。

その後市場として利用されましたが、あまりの喧騒でゆっくり眠ることもできないということで、王が市を禁止したこともありました。

ときには荒々しい闘技場として使われたこともあります。

また中世には刑務所が置かれていたこともあり、ここの刑務所の受刑者は「100の刑」というものを受けさせられていました。

これは、首から罪状をかけ、窃盗罪の場合は盗んだものもかけさせられ、バルセロナの街中を100回、角を回って人々のさらしものになるというシステムです。

罪の重さによっては、この100回が200、300、400、500回と上乗せさせられました。

コロンブスも登った階段

広場に出たら、奥の階段の方へと進んでみましょう。

一見何の変哲もない階段のようにも見えますが、何百年にも渡りって数々の歴史上のドラマを静かに見守ってきました。

階段は全部で14段。

上まで登って座ってみると、広場全体を眺めることができます。

1493年4月、フェルナンド王とイサベル女王のカトリック両王に謁見するため、コロンブスがこの階段を上りました。

階段の先にあるティネイの間でカトリック両王に旅の報告をしたと言われています。

その内容は、そう新大陸発見の報告です。

またその前年の1492年にはこの階段上で物騒な事件も起こっています。

「王を殺せば、お前が王になれる」

そんな天からの声を聞いたという一人の男が、フェルナンド王の首筋を短剣で刺したのです。

王は7針を縫う重傷を負いましたが、命に別状はありませんでした。

もしこのときフェルナンド王が本当に殺されていたらスペインの歴史が変わったといわれているこの出来事。

コロンブスがアメリカ大陸を発見してから2ヵ月後のことでした。

死刑執行にまつわる話

階段の端にある右側の扉は今から700年以上も昔、日本では鎌倉時代末期に作られたサンタ・アガタ礼拝堂の入り口です。

「王宮の礼拝堂を建てかえるように」との当時の王ハイメ2世の命によって1302年に建てられました。

実はこの聖堂、当初はサンタ・マリア礼拝堂という名前だったのです。

現在の礼拝堂の名前の元となった、聖アガタはイタリアのシチリア島の出身で拷問で乳房を切り落とされたという逸話が残っています。

後のマルティン王は、この聖アガタを非常に崇拝して「失った彼女の乳房を探して持ってくるように」というおふれを出しました。

そのためそれらしき物を持った民衆が礼拝堂にやってきたという逸話が残っています。

この出来事によってサンタ・アガタ礼拝堂と呼ばれることになりました。

1835年に礼拝堂としての役割を終え、現在ではバルセロナ歴史博物館の一部で見学可能です。

ところで、サンタ・アガタ礼拝堂の右隣に2階建ての小さな建物があります。

これは当時の死刑執行人の住居の出入り口です。

この広場では死刑も執行されていたことがあり、死刑執行人は広場の裏の城壁の中に住んでいました。

というのも、死刑執行人が城壁内に住んでいるということは、当時の人々にとっては気持ちのいいことではなかったためです。

しかし、死刑執行人はれっきとした職業です。城壁の向こうに追いやることもできません。

そのため、苦肉の策として城壁の中に住まわせていたのです。

死刑執行人が正式な職業となる前は、時に死刑執行の担い手が不足することがありました。

そのような時のために死刑執行の道具とお金が広場の片隅に置かれていました。

お金が必要で、代わりに死刑執行人の役を担当してもいいという場合は、夜のうちに道具とお金をとり、翌朝広場で臨時執行人となったのです。

誰もやり手がいないときは、肉屋が担当することになっていたのですが、あまりの仕事のひどさに自殺者が多数出たためこの案は廃止されました。

その後公務員としての死刑執行人のポジションがつくられました。

非常に給料が良かったといいます。

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