マリー・アントワネットの処刑の地 - パリ・コンコルド広場
周辺には、凱旋門、チェイルリー公園、エッフェル塔などがあり、華やかなパリの中心地でもあるコンコルド広場。一見、素敵な場所に思えますが、この場所には栄華と血塗られた歴史があるのです。
マリー・アントワネットの結婚式も処刑も行われたコンコルド広場
1753年、ルイ15世の時代にコンコルド広場は完成しました。当時は、ルイ15世の騎馬像があったことから、ルイ15世広場とも呼ばれていたそうです。そこでは、戦争の勝利を祝う花火が打ちあげられたり、マリーアントワネットの結婚式が行われたり、華やかなセレモニーの場所でした。
しかし、1789年、フランス革命が起こります。
このフランス革命により、騎馬像は壊され、ここには処刑のためのギロチンが設置されます。そして、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑もここで行われたのです。
古代エジプト文字・ヒエログリフと金色オベリスクの関係とは?
コンコルド広場において、目を引くのは、そびえ立つオベリスクと、噴水です。オベリスクとは、古代エジプトの時代に作られた記念碑です。ヨーロッパ各地にオベリスクはありますが、その多くは、実は強奪されたもの。ただ、コンコルド広場のオベリスクは、友好の証として贈られたものだそうです。それは、フランスの研究者であるジャンフランソワ・シャンポリオンが、古代エジプト文字であるヒエログリフを最初に解読したことがきっかけだったそうです。
詳しくは、コンコルド広場のガイドを聴こう
「コンコルド」とは、どういう意味があるのか?広場の近くにある、マリー・アントワネットも宿泊したホテルなど、まだまだコンコルド広場の見どころはたくさんあります。ぜひ現地で、ガイドを聴きながら、その歴史を堪能してみてはいかがでしょうか。