切ない物語をもつ世界遺産コンコルド広場の見どころ
マリー・アントワネットの処刑の地
周辺には、凱旋門、チェイルリー公園、エッフェル塔などがあり、華やかなパリの中心地でもあるコンコルド広場。
一見、素敵な場所に思えますが、この場所には栄華と血塗られた歴史があるのです。
1753年、ルイ15世の時代にコンコルド広場は完成しました。
当時は、ルイ15世の騎馬像があったことから、ルイ15世広場とも呼ばれていたそうです。
そこでは、戦争の勝利を祝う花火が打ちあげられたり、マリーアントワネットの結婚式が行われたり、華やかなセレモニーの場所でした。
しかし、1789年、フランス革命が起こります。
このフランス革命により、ルイ15世の騎馬像は取り払われてしまい、その後は革命広場と呼ばれるようになりました。
さらに、この場所に処刑のためのギロチン台が設置され、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われています。
いまではその面影もありませんが、血なまぐさい歴史の舞台だったのです。
調和を意味するコンコルド広場という名称に変わったのは1795年からで、公式名称としては1830年から呼ばれるようになりました。
コンコルド広場において、目を引くのは、そびえ立つオベリスクと、噴水です。
オベリスクとは、古代エジプトの時代に作られた記念碑です。
ヨーロッパ各地にオベリスクはありますが、その多くは、実は強奪されたもの。
ただ、コンコルド広場のオベリスクは、友好の証として贈られたものだそうです。
それは、フランスの研究者であるジャンフランソワ・シャンポリオンが、古代エジプト文字であるヒエログリフを最初に解読したことがきっかけだったそうです。
施設情報
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