ミケランジェロ最期のピエタが眠るスフォルツェスコ城の見どころ紹介
ミケランジェロ最期のピエタ
ピエタ。
十字架に掛けられて亡くなったキリストとその亡骸を抱きかかえて深い嘆きに沈む聖母マリアを描いた作品のことをそう呼びます。
ルネッサンスの巨匠ミケランジェロはピエタの制作をライフワークとし、その生涯で4つのピエタを手がけました。
ミラノに残る中世の城塞「スフォルツェスコ城」には、ミケランジェロが息を引き取る3日前まで彫り続けていた最期の作品「ロンダニーニのピエタ」が眠っています。
最初に目にとまるのは空高く伸びるシンメトリーの塔、高さ109メートルのフィラレーテの塔ですね。
まるで中世のイタリアにそのまま迷い込んでしまったかのようです。
15世紀中頃にフランチェスコ・スフォルツェスコ公爵が、以前のミラノの支配者ヴィスコンティ家の居城を改築して城塞としました。
スフォルツェスコ家は、中世の時代にミラノを首都とするミラノ公国の事実上の君主です。
この塔の建造は、1450年に始まり、1466年に完成しています。
あのレオナルド・ダ・ヴィンチも関わっていたようです。
塔の装飾は比較的新しいもので、時計は約100年前に追加されたものです。
中央に白い石像がついていますが、こちらはミラノの守護聖人である聖アンブロージョ。
彼は4世紀にミラノの司教だった人物です。
下の馬に乗った人物は、イタリア王国2番目の王、ウンベルト1世です。
スフォルツェスコ城の内部にはミラノ市立の博物館が併設されています。
写真撮影が許可されている上、比較的人が少ないのでおすすめの博物館です。
400年ぶりに発見されたダ・ヴィンチの天井画をはじめ、多くの見ごたえある作品が展示されていますが、この博物館の目玉は何と言ってもミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」でしょう。
ミケランジェロ最期の作品「未完のピエタ」として有名な「ロンダニーニのピエタ」は、展示の一番最後に私達を出迎えてくれます。
冒頭でも述べましたが、ピエタとは十字架に掛けられて亡くなったイエス・キリストと、その亡骸を抱きかかえて嘆き悲しむ聖母マリアを描いた作品のことでミケランジェロのライフワークのようなものです。
ミケランジェロは生涯4つのピエタを制作していますが、最も有名なものはサン・ピエトロ大聖堂のピエタです。
しかし、厳重に防弾ガラスで守られているサン・ピエトロ大聖堂のピエタとは違い、このピエタは直接見ることができる上に360度、どの角度からも眺めることができるのです。
作者ミケランジェロ・ブオナローティはフィレンツェ共和国の生まれ。
ロレンツォ・デ・メディチに才能を見こまれ、メディチ家に引き取られて彫刻を学びました。
彼はダ・ヴィンチと同時代に生きた彫刻を得意とした芸術家ですが、ダ・ヴィンチより20歳ほど若く、ダ・ヴィンチに対して強いライバル心を抱いていたといいます。
若いときに喧嘩をして鼻が折れてしまい、それがコンプレックスとなって偏屈な性格になったとも。
メディチ家の庇護を失った後、ローマに移ってサン・ピエトロ大聖堂のピエタを制作しました。
この「ロンダニーニのピエタ」はミケランジェロ最後の作品です。
彼は視力を失いながらも倒れる直前まで制作にとりくみ、当時としては異例の89歳で亡くなりました。
つまり、このピエタは未完のままというわけです。
このピエタはスフォルツェスコ博物館に収蔵されるまで、ローマのロンダニーニ邸にあったため、「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれています。
「ピエタ」とは、イタリア後で「悲しみ」という意味です。
深い慈愛の表情が伺えるサン・ピエトロ大聖堂のピエタとは異なり、「ロンダニーニのピエタ」はどことなく寂しさを感じさせます。
完成していたら、一体どのような表情を浮かべていたのでしょうか。
施設情報
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