まるで屋根のない美術館!シニョーリア広場の見どころ紹介
オリジナルの彫刻作品にあふれるシニョーリア広場
シニョーリア広場には、まるで野外美術館のように数多くの彫刻作品が設置されていて、驚くべきことにそのほとんどが現在でもオリジナルの作品ばかりです。
広場に到着して、まず最初に目につくのはヴェッキオ宮殿でしょう。
フィレンツェが都市国家だったころの政庁であり、メディチ家の宮殿でもありました。
そして、ヴェッキオ宮殿の入り口には、ミケランジェロのダヴィデ像が存在感を放っています。
もともとこの広場はローマ時代には政治的な要所としての役割も持っていたようです。
かつて、周囲にはローマ劇場、公衆浴場、市場などがあり、活況を呈していたことが分かっています。
現在でもローマ時代の遺跡はシニョーリア広場の地面の下に眠っています。
ヴェッキオ宮殿に向かって右側には『ランツィの回廊』があります。
このランツィの回廊は、1382年に政庁舎の集会やセレモニーなどを行う為に作られました。
エレガントな3つの大きなアーチが広場にリズム感を醸しだしています。
この回廊には紀元後2世紀から19世紀半ばまでの作品が並んでいます。
その彫刻たちの間を歩きながらイタリア芸術史の厚みをじっくりと味わうことができます。
シニョーリア広場には、本当にたくさんの彫刻があります。ここでは、その代表的な見どころ作品をいくつかご紹介します。
1.ポリュクセネーの陵辱
「ポリュクセネーの陵辱」はピオ・フェンティの作品で、ギリシャ神話に登場する話をモチーフにしています。
ギリシャの無敵の英雄アキレスはトロイ戦争の敵方の娘ポリュクセネーに恋をしてしまい、彼の唯一の弱点がかかとであることを教えてしまいます。
それを知ったポリュクセネーの兄弟たちは、毒矢をアキレスのかかとに打ち込み、彼を殺害することに成功します。
しかし、話はそれで終わらず、アキレスは亡霊となり、ポリュクセネーを拉致して自分の墓の前で殺すように自分の息子に命じるのです。
この「ポリュクセネーの凌辱」の彫刻は、アキレスの息子ネオプトレモスがポリュクセネーを掠奪するところを、止める母親に剣を振り下ろそうとするシーンを制作しています。
2.サビニの女たちの略奪
ランツィの回廊の右端に設置された、3人の人物が複雑に絡み合った彫像は「サビニの女たちの略奪」です。
この作品は360度それぞれの角度から鑑賞してみてください。
まるで三体の肉体が絡み合い、螺旋を描き上昇していくように見えます。
「サビニの女たちの略奪」はベルギー出身の芸術家であり、イタリアに移り住んでからはメディチ家の宮廷彫刻家をつとめたジャンボローニャが1580年に制作しました。
当時のフィレンツェで過去最大の白い大理石の塊から作られたこの彫刻は高さ4.1メートルにものぼります。
3.ペルセウス
「ペルセウス」は、西暦1500年代を代表する芸術家ベンヴェヌート・チェッリーニが1554年に10年の歳月をかけて制作した作品です。
ギリシャ神話に登場する恐ろしい怪物メドゥーサをペルセウスが退治し、切り取った頭を持ち上げた姿で表されています。
均整の取れた筋肉質の体型で、右足に体重をかけて立っています。
ペルセウスの表情は沈んでいて、感情を抑制しています。
メドゥーサの首は切り離されても、見る人を石に変えてしまう力がまだ残っているため、ペルセウスはうつむいてメドゥーサを見ないようにしています。
4.ダヴィデ像
ダヴィデの彫刻はヴェッキオ宮殿の入り口に立っています。
この西洋美術界の中で最も人気のある彫刻の一つ「ダヴィデ」はミケランジェロが29歳の時の作品です。
フィレンツェ共和国を象徴する作品として制作されたダヴィデは、フィレンツェ市民にとっても特別な意味を持つ彫刻像となりました。
その為 ミケランジェロの制作したオリジナルのダヴィデはその重要さが考慮され、1873年にアカデミア美術館に移転されることになり、今日こちらにはコピーが置かれています。
施設情報
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